6世紀末から7世紀初めに飛鳥時代の大臣である蘇我馬子が発願し、建立された本格的な伽藍を備えた日本最古の寺です。
現在の本堂は江戸時代末期1826年に再建されたもので、本堂の中には、日本最古の仏像である「飛鳥大仏」と呼ばれる本尊で銅造の釈迦如来坐像が祀られています。
この仏像は7世紀初頭609年に作られたもので、像高は275.2センチメートルあり、重要文化財に指定されています。
また、この場所は大化の改新を起こした中大兄皇子と中臣鎌足が出会った場所としても知られています。
飛鳥寺には、いくつかの呼び方があります。法号は「法興寺」または「元興寺(がんごうじ)」であり、平城遷都と共に現在の奈良市に移された寺は「元興寺」と呼ばれています。
一方、蘇我馬子が建立した法興寺中金堂跡に今も残る小寺院の名称は「安居院」となっています。『日本書紀』では「法興寺」「元興寺」「飛鳥寺」などの表記が用いられています。
現在は「安居院」が正式名称ですが、国の史跡として指定されている名称は「飛鳥寺跡」となっています。
寺の創建に至るまでの経緯は諸説あり、『日本書紀』、『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』、そして「露盤銘」と「丈六光銘」に記されています。
『日本書紀』によると、法興寺(飛鳥寺)は、587年に蘇我馬子が建立を発願したものであり、馬子は対立していた物部守屋との戦いに勝利することを祈念して、飛鳥の地に寺を建てることにしました。
飛鳥寺は仏教隆盛の中心地として栄え、当時の日本における仏教教学の研究機関としての機能を有した唯一の寺院であり、やがて朝廷からの庇護を受けるようになったと考えられています。
また、645年に蘇我本家が滅亡しても、飛鳥寺は中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの場や蘇我氏討伐の本陣になるなど、朝廷との強い関係性を示しました。
奈良の都が平城京へ移った後、飛鳥寺も現在の奈良市に移転し、元興寺と呼ばれるようになりました。
元の寺である馬子が飛鳥に建てた寺は、本元興寺と呼ばれ、平安時代には朝廷から南都七大寺に次ぐ扱いを受けていました。
しかし11世紀ごろになると、飛鳥寺は衰退期に入ります。1196年には雷火で塔と金堂が焼失しました。それ以降、寺勢は衰退し、室町時代以降は廃寺同然となりました。
1447年の時点で、飛鳥寺の本尊は露坐であったことが分かっています。以降の200年あまりの歴史については不明な点が多く、詳細は分かっていません。
江戸時代1632年には、今井町の篤志家によって仮堂が建てられ、1681年に僧・秀意が草庵をつくり安居院と名称を変え、傷んだ釈迦如来像が補修されました。
1826年に大坂(大阪)の篤志家の援助で現本堂が再建され、現在の飛鳥寺が形作られました。
現在の飛鳥寺本堂の建つ場所はまさしく馬子の建てた飛鳥寺中金堂の跡地であり、本尊の釈迦如来像(飛鳥大仏)は補修が甚だしいとはいえ飛鳥時代と同じ場所に安置されていることが分かり、飛鳥寺跡として国の史跡に指定されました。
飛鳥寺は、日本の仏教史において重要な役割を果たし、悠久の歴史を感じさせる地となっています。
4月~9月 9:00~17:30
10月~3月 9:00~17:00
4月7日~4月9日
拝観料
一般/大学生 350円
高校生/中学生 250円
小学生 200円
近鉄橿原神宮駅下車 岡寺前行バス10分、飛鳥大仏下車
近鉄橿原神宮駅下車 徒歩40分