正式名称は南法華寺(みなみほっけじ)ですが、通称の壺阪寺(つぼさかでら)で知られる、奈良盆地を一望できる高取山の中腹にある寺院です。
703年に創建といわれる屈指の古刹で、西国三十三ヶ所の6番札所であり、全国各地から多くの参拝者が訪れています。
眼病封じの寺として信仰されており、秋にはめがね供養会法要が行われます。
境内には、やまぶきや桜、ラベンダーなどが色鮮やかに咲き誇り、香りでも楽しませてくれます。秋には紅葉の美しい景色が広がります。
清少納言も『枕草子』の中で「寺は壷坂、笠置、法輪」と、霊験の寺の1番に名をあげ、賞賛しているほどです。
また、1875年ごろに書かれた歌舞伎の演目『壷坂霊験記』の舞台としても知られています。
礼堂や三重塔は、国の重要文化財に指定されています。
伝承によると703年に僧・貴族・歌人で元興寺の弁基(僧名)上人によって創建されたとされています。後には元正天皇の祈願寺となりました。
平安時代には、京都の清水寺が北法華寺と呼ばれたのに対し、壺阪寺は南法華寺と呼ばれ、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えていました。
36の堂舎と60以上の坊があり、1007年には、左大臣藤原道長が吉野参詣の途中に宿泊したこともあります。
しかし1096年に火災に遭い、伽藍のほとんどが灰燼に帰しました。その後、復興をしましたが、何度も火災に遭い、やがて戦国時代には戦乱に巻き込まれ、衰退しました。
室町時代の礼堂と三重塔くらいしか残っていませんでしたが、1600年頃に高取城主が伽藍復興に尽力し、江戸時代には高取藩主植村氏の庇護を受けて栄えました。
本尊の十一面千手観世音菩薩は眼病封じの観音様として親しまれ、眼病に霊験があるといわれ、人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台として有名となりました。
江戸時代に再建された八角円堂(本堂)に祀られています。
1964年よりインドでハンセン奉仕活動をおこなっており、国際交流・石彫事業で製作された石堂、石像が多数あります。
天竺渡来 大観音石像は、1983年に安置。全長20m、全重量1200t。インド政府によって提供された古石を使用して、インドで延べ7万人の石工の手によって66個のパーツに分けて制作され、日本で組み立てられました。
天竺渡来 佛伝図レリーフ「釈迦一代記」は、1987年に安置。全長50m、高さ3m、重さ300t。インドで延べ5万7000人の石彫師の手によって製作され、日本で組み立てられました。
天竺渡来 大石堂は、インドのアジャンター石窟寺院をモデルとし、延べ12万人の日本・インドの人々によって彫刻され、日本で組み立てられました。総重量1,500t。内部には石造の仏舎利塔と十一面千手観音像と大日金輪像を祀っています。
他にも、全長8mの天竺渡来 大涅槃石像、身丈10m・台座5mの天竺渡来 大釈迦如来石像(壺阪大仏)、高さ3mの「めがね供養観音」 など、インドで制作され、日本で組み立てられた石物があります。
壷阪寺は、シルクロードの香りが豊かにただよう霊山であり、参拝に訪れた人々は心が癒されることでしょう。
8:30~17:00
年中無休
入山料
大人(18歳以上)600円
小人((17歳以下)100円
幼児(5歳以下)無料
壷阪山駅からバスで20分 終点下車