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永福寺(王寺町)

(えいふくじ)

永福寺は、来迎山(らいごうざん)と号する浄土宗の寺院で、古くから地域の信仰を集めてきた由緒あるお寺です。奈良時代の高僧として知られる行基(ぎょうき)によって開かれたと伝えられており、その創建は非常に古いものとされています。行基は、民衆教化や社会事業に力を尽くした僧で、東大寺大仏造立にも深く関わった人物として、日本仏教史に大きな足跡を残しました。

永福寺は一時期、歴史の流れの中で寺勢が衰え中絶していましたが、江戸時代前期の慶安2年(1649)に、正波(しょうは)という僧によって浄土宗の寺院として再興されました。この再興により、現在に続く寺院の姿が整えられたと考えられています。

正波上人と再興の歩み

再興を果たした正波上人は、永福寺の歴史において極めて重要な存在です。境内に伝わる峯心(正波)坐像の底面には、正波によって寺院が再建されたこと、そして寛文10年(1670)に入寂したことが刻銘されています。このことからも、江戸時代初期における永福寺再興の確かな歴史がうかがえます。

建築から見る永福寺の魅力

本堂と観音堂

永福寺の本堂は、18世紀初期の建立と考えられており、江戸時代らしい落ち着いた佇まいを今に伝えています。本堂南側に位置する観音堂は、さらに古く、東北隅の鬼瓦に「貞享5年(1688)に畠田の瓦師・市右衛門が作成した」との刻銘が残されています。このことから、観音堂は17世紀後期の建立と推定され、当時の建築技術や信仰の厚さを物語っています。

平安時代から伝わる貴重な仏像

本尊・釈迦如来坐像

本堂の本尊である木造釈迦如来坐像は、寄木造で制作され、穏やかな表情や柔らかな肉取りなど、平安時代後期に流行した定朝様式の特徴をよく表しています。その作風から、12世紀頃の制作と考えられており、永福寺が古代からの信仰を受け継いできたことを象徴する仏像です。

地蔵菩薩立像

観音堂に安置される木造地蔵菩薩立像は、一木造で作られており、釈迦如来像よりもさらに古い、10世紀前半の制作と考えられています。持物を持たない初期形式の地蔵菩薩像である点も特徴的で、平安時代初期から中期にかけての信仰の姿を今に伝える貴重な文化財です。

境内に残る平安の遺構

境内には、高さ約3メートルの七重層塔が建てられています。凝灰岩製のこの層塔は、風食による損傷が見られるものの、その造形や素材から平安時代後期、あるいはそれ以前の建立と考えられています。長い歳月を経てなお残る姿は、永福寺の歴史の深さを静かに物語っています。

また、元禄8年(1695)には、画僧として知られる古礀(こかん)によって描かれた仏涅槃図の大幅も蔵されており、江戸時代の仏教美術に触れることができる点も大きな魅力です。

行基と永福寺の精神的背景

永福寺の開基とされる行基は、668年に和泉国で生まれ、僧となってからは民衆の中に入り、橋や溜池の建設など社会事業にも尽力しました。その活動は当時としては画期的であり、仏教を人々の生活に根付かせた先駆者といえます。永福寺に多くの平安時代仏像や遺構が伝えられていることは、行基の精神が後世まで大切に受け継がれてきた証ともいえるでしょう。

アクセス方法

公共交通機関をご利用の場合

JR王寺駅から南へ徒歩約45分で到着します。また、王寺駅南口3番のりばから奈良交通バスに乗車し、「明神1丁目(畠田経由)」行きにて「王寺町文化福祉センター」バス停で下車、そこから徒歩約2分と、バス利用も便利です。

歴史と信仰、そして静かな佇まいが調和する永福寺は、ゆったりとした時間の中で日本の古代から続く仏教文化に触れることのできる、魅力あふれる寺院です。

Information

名称
永福寺(王寺町)
(えいふくじ)

葛城・御所

奈良県