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葛木坐火雷神社(笛吹神社)

(かつらきにいます ほの いかづち じんじゃ)

葛木坐火雷神社は、奈良県葛城市笛吹に鎮座する由緒正しい神社で、古くから「笛吹神社」あるいは「笛吹の宮」の名で親しまれてきました。『延喜式神名帳』に記載された式内社(名神大社)であり、奈良県内に数多く存在する古社の中でも、かつては官幣大社級の格式を誇ったと考えられています。

神社が位置する葛城地方は、古代から政治・文化の要衝であり、神話や古代豪族の伝承が色濃く残る土地です。その中でも葛木坐火雷神社は、火の神・雷の神への信仰と、音楽・笛の文化という二つの側面を併せ持つ、きわめて特色ある神社として知られています。

御祭神と神話の世界

主祭神と配祀神

葛木坐火雷神社では、火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)天香山命(あめのかぐやまのみこと)を主祭神としてお祀りしています。これに加えて、以下の神々が配祀されています。

大日霊貴尊(天照大神)高皇産霊尊天津彦火瓊瓊杵尊伊古比都幣命

火雷大神 ― 火と雷を司る神

火雷大神は、一般には雷神として知られますが、この神社では特に火の神として信仰されてきました。火は人々の生活に欠かせない存在である一方、災いをもたらす恐ろしい力でもあります。そのため、火雷大神は火災除け鎮火、さらには生活の安定を願う信仰の対象として崇敬されてきました。

天香山命と天岩戸神話

天香山命は、別名を石凝姥命ともいい、日本神話の中で重要な役割を果たす神です。天照大神が天岩戸にお隠れになった際、天香山の土を掘って鏡を作り、竹で笛を作って吹き鳴らしたと伝えられています。この神話は、音楽や祭祀が神と人をつなぐ力を持つことを象徴しています。

笛吹連と神社の成立

古代、この地域には王朝に仕える笛師(ふえし)の一族である笛吹連(ふえふきのむらじ)が居住していました。彼らは天香山命を自らの祖神として祀り、この地に神社を創建したと伝えられています。これが、後に「笛吹神社」と呼ばれるようになった由来です。

笛吹連は代々、音楽や祭祀に携わり、宮廷文化を支えた一族であり、その信仰の中心がこの神社でした。現在も、笛吹連の子孫が代々宮司を務めているとされ、古代から続く信仰の系譜を今に伝えています。

歴史と社運の変遷

創建と文献にみる歴史

創建年代は明らかではありませんが、社伝では神代あるいは神武天皇の御代に遡るとされています。文献上の初見は、仁寿2年(852年)に『文徳天皇実録』に記された神階授与の記事です。

さらに『日本三代実録』によれば、貞観元年(859年)には従二位という高い神階を授けられています。延喜式神名帳では「大和国忍海郡 葛木坐火雷神社二座」と記され、名神大社として国家的祭祀の対象となっていました。

衰退と再興

しかし平安時代後期以降、社勢は次第に衰え、笛吹神社の末社となったと伝えられています。明治7年(1874年)には、火雷社を笛吹神社に合祀し、社名を改めて葛木坐火雷神社とし、郷社に列格しました。

境内の見どころ

笛吹神社古墳

本殿の背後には、直径約25メートルの円墳があり、笛吹連の祖とされる建多析命の墓と伝えられています。この古墳は6世紀前半に築造されたと推定され、横穴式石室や家形石棺を備えた貴重な遺構です。

波々迦木(ははかのき)

境内には、古来より占いや祭祀に用いられた波々迦木(ウワミズザクラ)が残されています。平安時代末期から江戸時代末期まで、宮中に献納されていたと記録されており、神社と朝廷との深い結びつきを物語ります。

イチイガシ林

境内には奈良県指定天然記念物であるイチイガシ林が広がり、学術的・環境的にも高い価値を持っています。豊かな自然に包まれた境内は、訪れる人に安らぎを与えてくれます。

年中行事と祭礼

御田植祭

2月11日に行われる御田植祭は、葛城に春の訪れを告げる祭礼です。田植えの所作を通じて五穀豊穣を祈願し、地域の人々に親しまれています。

夏越祭

7月17日の夏越祭では、提灯が境内に並び、幻想的な雰囲気に包まれます。太鼓の奉納演奏も行われ、賑やかな夏の風物詩となっています。

鎮火祭

11月15日に行われる鎮火祭では、古式に則った火切り神事が行われ、火の恵みに感謝し、火災除けを祈ります。

交通アクセス

近畿日本鉄道御所線忍海駅から西へ徒歩約30分。葛城の自然と歴史を感じながらの散策も魅力のひとつです。

Information

名称
葛木坐火雷神社(笛吹神社)
(かつらきにいます ほの いかづち じんじゃ)

葛城・御所

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