平野塚穴山古墳は、奈良県香芝市平野に位置する方墳で、平野古墳群を構成する古墳の1つです。1973年(昭和48年)に国の史跡に指定され、その歴史的価値が高く評価されています。一般には、茅渟王(ちぬおう)と関連があるとされ、その規模や構造から王族級の人物が埋葬された可能性が示唆されています。
この古墳は、奈良県西部に位置する明神山から派生する低丘陵の南斜面に築かれています。墳丘は2段構造で、下段は一辺25-30メートル、高さ約2.7メートル、上段は一辺約17.4メートル、高さ約2.7メートル、全体の高さは約5.4メートルに及びます。墳丘は粘質土と砂質土を交互に突き固める版築工法で構築され、外表面は二上山凝灰岩の貼石で美しく化粧されています。
埋葬施設としては、南向きに開口する横口式石槨が採用されています。これは横穴式石室の名残を持つ初期の組合式横口式石槨であり、その構造は以下のような特徴があります。
石材には二上山凝灰岩が使用され、石槨内には夾紵棺(きょうちょかん)や漆塗籠棺が設置されていました。発掘調査により、金環・中空玉・銅椀の破片などが副葬品として検出され、これらが埋葬者の高貴な身分を示しています。
被葬者は明らかではありませんが、古墳の規模や構造から、王族級の人物が埋葬されたと考えられています。特に有力な説として、茅渟王(茅渟皇子)が候補に挙げられています。茅渟王は、第30代敏達天皇の子で、第35代皇極天皇(第37代斉明天皇)と第36代孝徳天皇の父にあたる人物です。ただし、彼に関する具体的な事績は『古事記』や『日本書紀』においても詳らかではなく、その生涯は謎に包まれています。
平野塚穴山古墳は7世紀後半から末頃に築造されたと考えられ、初期の横口式石槨を採用したことから、その時期の墓制の変遷を示す重要な遺跡とされています。特に、百済の王陵とされる陵山里古墳群との類似が指摘されており、古代東アジアとの文化交流を考える上でも貴重な史料です。
平野塚穴山古墳は、1973年に国の史跡に指定され、2018年には史跡範囲が追加指定されました。2020年には「平野塚穴山古墳史跡公園」として整備され、一般公開が開始されました。ただし、石槨内への立ち入りは春と秋の年2回に限られています。訪問の際には、事前に公開時期を確認することをおすすめします。
香芝市二上山博物館が近隣にあり、古墳に関する詳しい情報や展示が見学できます。公共交通機関を利用する場合は、JR関西本線「志都美駅」から徒歩約20分の距離です。
平野塚穴山古墳は、その壮大な規模と精緻な構造から、古代日本の王族文化や墓制の変遷を物語る重要な遺跡です。歴史に触れ、古代のロマンを感じるひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。