かつて豊臣政権の1585年に豊臣秀吉の異父弟である羽柴秀長の居城となり、その領国だった大和・紀伊・和泉100万石の中心地でもありました。
江戸時代には、郡山藩の藩庁が置かれていました。現在は国の史跡に指定されています。
郡山城の初見は、郡山衆が雁陣の城を築いたという記録にあり、10世紀後半にさかのぼります。
城は、織田信長の時代に筒井順慶によって整備され、豊臣秀吉の時代には豊臣秀長が100万石の居城として大幅に拡張されました。
奈良には良質な石材が少なかったため、寺院の石地蔵や墓石、仏塔なども石垣石として使用されました。
郡山城の石垣には、平城京の羅城門の礎石と伝わる石や、8世紀ごろの仏教遺跡「頭塔」(国の史跡)の石仏もが使われています。
明治維新後、多くの建物が破壊されましたが、最近では追手門、櫓、天守台などが修復・整備され、城跡に一段と風格を添えています。
また、春には1000本の桜が咲き誇り、花見客で賑わう名所でもあり、日本さくら名所100選に選定されています。
天守台の展望施設からは、大和郡山のまちなみだけでなく、平城京大極殿・薬師寺・若草山なども見ることができます。
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