律宗の総本山で、盧舎那仏(国宝)を本尊とするお寺です。創立は759年、唐の僧・鑑真であり、朝廷から譲り受けた皇族の旧宅跡を寺としました。鑑真が晩年を過ごした場所でもあります。
奈良時代に建てられた現存唯一の金堂(国宝)をはじめ、建造物・絵画・彫刻・工芸品などの多くの文化財を所蔵しており、唐招提寺旧境内は国指定の史跡です。
古都奈良の文化財の一部として、ユネスコによって世界遺産に登録されています。
鑑真
鑑真が唐から日本に渡ったのは、753年のことでした。当時、日本には「戒律」という仏教の規則を守るための正式な僧侶がいなかったため、承認を経ていない私的な僧が増え、社会秩序の乱れにつながっていました。
遣唐使と共に渡唐した留学僧が鑑真に、日本には正式の伝戒の師がいないため、適切な高僧を推薦してほしいと申し出ました。そこで鑑真は弟子たちに依頼しましたが、弟子たちは渡航の危険などを理由に渡日を拒否しました。
そのため鑑真は自ら渡日することを決意しました。しかし、当時の航海は命懸けであった上に、当時唐から出国することは国禁を犯すことだったため、鑑真は何度も挫折を経験しました。
743年、1回目の渡航計画は密告により留学僧が捕縛され、それから何度も渡航しようとして10年が経ち、6回目の渡航計画で遂に日本に帰る遣唐使船に乗船が叶い、ようやく日本に到着しました。鑑真は当時既に66歳になっていました。
日本に渡った鑑真は、日本において戒律の重要性を説き、正式の僧侶の数を増やすことに貢献しました。759年に唐招提寺を創建し、大僧都に任じられ、763年に波乱の生涯を日本で閉じました。数え年76でした。
伽藍
奈良時代の唐招提寺には、南大門、西南門、北土門、中門、金堂、経楼、鐘楼、講堂、八角堂3基、食堂、羂索堂、僧房、小子房、温湯室、倉がありました。
金堂
その中でも金堂は、唯一現存している奈良時代の寺院金堂で、国宝です。寄棟造、本瓦葺きで、大棟の左右に鴟尾を飾っています。
堂正面に8本の太い円柱が並び、この建物の特徴となっています。堂内には広い部分を占めて須弥壇があり、その上に仏像が並んでいます。
中央に本尊・盧舎那仏坐像(像高3メートル、奈良時代末期の作)、向かって右に薬師如来立像(像高3.4メートル)、左に千手観音立像(像高5.4メートル、奈良時代末期の作、実際に1,000本の手を表す)の3体の巨像があります。本尊の手前左右に梵天・帝釈天立像、須弥壇の四隅に四天王立像が祀られているます。これらの仏像はすべて国宝です。
講堂
講堂は平城宮の東朝集殿を移築・改造したもので、760年頃に平城宮の改修に伴って移築されたものです。
東朝集殿は、壁や建具のほとんどない開放的な建物で、屋根は切妻造でしたが、寺院用に改造するにあたって、屋根を入母屋造とし、建具を入れました。
鎌倉時代の1275年にも改造されましたが、奈良時代の宮廷建築の唯一の遺構として極めて貴重な建築物で、国宝に指定されています。
堂内には本尊弥勒如来坐像(重要文化財、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(国宝、奈良時代)を安置しています。
また、講堂は僧侶が習学するための空間であったことから講師、読師が座る論義台が置かれています。
行事
境内には、季節ごとに異なる花が咲き誇っており、四季折々の楽しみ方ができるのが魅力的です。
例えば、春は鑑真和上の故郷である江蘇省揚州市の名花「瓊花(けいか)」の見頃に合わせて、御影堂供華園が特別開園され、ハート型のうちわが1500枚も撒かれるうちわまきが行われます。
夏には、子供の守り仏の地蔵菩薩に子供の健やかな成長を祈る地蔵盆が開催されます。秋には、紅葉が美しく咲き誇ります。そして冬には、雪に覆われた唐招提寺の美しさを楽しむこともできます。
8:30~17:00
大人・大学生 1000円
高校生 400円
中学生 400円
小学生 200円
近鉄西ノ京駅から徒歩で10分