米を茶で炊いたおかゆ(お粥)で、奈良の郷土料理である茶粥。米の他に野菜や芋、豆を入れることがある。地域によって自家製の番茶、ほうじ茶、粉茶が用いられ、塩加減も異なる。昔から「おかいさん」の愛称で親しまれ常食となっていた。茶の産地だった奈良では、上納後に残った茶を使って粥を炊いたことが、茶粥の始まりともいわれている。また、お水取りで有名な東大寺の練行僧に出される茶飯から広まったという説もある。のちに庶民の常食となった茶粥は、主に朝食のメニューとして親しまれていた。大和茶の風味と、さらっとした粘りがない食感が特長で、家庭によっては漬物や佃煮をトッピングするという。奈良ではスーパーなどで茶粥用の茶が販売されているということだ。
奈良県の一般家庭では、木綿の茶袋に焙じた粉茶を入れて炊き出し、冷やご飯を混ぜて炊くことが一般的でした。昔の大和では、夜にご飯を炊く家庭が多く、朝の冷やご飯を利用して茶粥を作ることが一般的でした。この調理方法を「入れお粥」と呼び、米から炊いた茶粥を「揚げ茶粥」と呼びます。おかきや餅を加えるほか、季節によってはさつま芋、栗、小豆、ソラマメなどを入れることもあります。夏には冷やして食べることもあります。
昔から、「大和の茶粥、京の白粥、河内のどろ喰い」と言われ、お粥の固さや食べ方も地域によって異なりますが、大和の茶粥は粘り気がなく、さらっとしています。奈良県で、塩分が多くサラサラした状態の熱い茶粥を常食とすることで胃潰瘍を引き起こし、それが癌に進行するという説から、1954年(昭和29年)に「茶粥の廃止」が呼びかけられたこともあり、また嗜好の変化もあり、茶粥を常食とする人は少なくなっています。
茶の栽培が日本に導入されたのは、9世紀初めに弘法大師(空海)が唐から茶の種子を持ち帰り、宇陀市の仏隆寺で播いたことに始まると言われています。東大寺で毎年3月に行われる「お水取り」では、練行衆(れんぎょうしゅう)の献立に「ごぼう(ゴボ)」「ゲチャ」が登場します。「ゲチャ」は、ほうじ茶で煮た米の汁を取り除いたもので(茶飯の原点のようなもの)、一方の「ゴボ」は茶粥のような、汁の多い食事とされています。これは、1200年以上前から「茶粥」が食べられていたことを示しています。
茶粥は、奈良では「おかいさん」とも呼ばれ、ほうじ茶で炊いたご飯に冷やごはんを混ぜて調理されるさっぱりとした料理です。奈良の人々にとって、「茶粥」は代表的な日常食であり、朝食にもよく食べられています。
現在では毎朝茶粥を炊く家庭は少なくなりましたが、奈良では夜にご飯を炊く家庭が多いため、冷たいご飯を温め直すために茶粥が広く普及しました。また、食事の腹持ちを良くするために、さつまいもやかぼちゃ、里芋、栗、かき餅など、さまざまな食材が加えられて食べられます。
主な伝承地域:県内全域
主な使用食材:米、ほうじ茶