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御霊神社(奈良市)

(ごりょう じんじゃ)

御霊神社は、奈良県奈良市薬師堂町に鎮座する、由緒ある神社です。古くは「南都御霊神社」「木比御霊」とも称されており、かつての社格は村社にあたります。創建は延暦19年(800年)とされ、桓武天皇の命により建立されました。現在も奈良市内に残る数少ない御霊信仰の神社として、多くの参拝者から厚い信仰を集めています。

御霊信仰と創建の背景

平安京が新都として建設された後、都では疫病が流行し、人々はこれを「怨霊」によるものと考えました。桓武天皇はその鎮魂と慰霊のため、旧都・平城京の三つの街道入口にそれぞれ神社を建立しました。中つ道には当社である井上御霊社(現在の御霊神社)、上つ道には早良親王を祀る崇道天皇社(西紀寺町)、下つ道には他戸親王を祀る他戸御霊社が設けられました。

御霊神社は、大和国宇智郡(現在の五條市)にある霊安寺・御霊神社から、井上皇后の御霊を勧請し創建されたものです。元々は元興寺南大門の前にあり、その地は「井上町」と呼ばれていました。元興寺の古い図には、南大門の脇に神輿舎が描かれていることからも、寺と神社の深いつながりがうかがえます。

歴史的記録と変遷

治安2年(1022年)の「吉備御霊祠奉加帳」には、延暦年間に井上皇后に皇后の位を、他戸親王に皇太子の位を追復し、早良親王には「崇道天皇」の諡号が贈られたことが記されています。それに伴い、州の租税が元興寺に納められ、諸寺では御霊を弔う法要が行われました。人々は怨霊を鎮めることで、疫病の終息を願ったのです。

宝徳3年(1451年)に起きた土一揆により、元興寺が焼き討ちされ、その影響で当社も焼失しました。後に現在の地に遷宮され、元興寺の鎮守社としての性格を強めていきます。文明15年(1483年)の『大乗院寺社雑事記』には、「元興寺御霊社」として記録され、八所御霊を祀ることが記されています。

近代以降の御霊神社

明治時代に入ると、御霊神社は正式に村社に列せられ、さらに神饌幣帛料供進社の指定を受けました。これにより、官からの祭祀料が供進される神社として、その地位を確立しました。

御霊神社の祭祀と信仰

疫病除けと神輿巡行

古くからの信仰により、疫病流行の際には中街道に井上皇后上街道に早良親王下街道に他戸親王の神輿を設け、疫魔の侵入を防ぐとされていました。現在もこの信仰は受け継がれており、70ヶ町・約5000軒に及ぶ広大な氏子地域を有しています。

例祭では、神輿が2年の歳月をかけて70ヶ町すべてを巡行するという壮大な行事が行われます。この伝統行事は、地域の人々の団結と信仰心を今に伝える貴重な文化財とも言えるでしょう。

氏子地域の広がり

『奈良坊目拙解』によれば、氏子地域は北は餅飯殿町の南の辻、南は京終村、東は鵲町・鶴福院町、西は大森村・杉ヶ町まで広がっており、64町に及びました。例祭の際には華やかな行列が町を練り歩き、神聖で壮麗な雰囲気が漂います。

古来の神主と祭日

古くは9月13日が例祭日とされ、祭礼を執り行う神主には、興福寺の工匠座である「寺座の大工」が任命されていました。神仏習合時代の特色をよく表しているといえるでしょう。

御霊神社の祭神と社殿構成

本殿の祭神

西神殿の祭神

東神殿の祭神

その他の境内社

祓戸社(はらえどしゃ)

祭神:瀬織津比咩神、速開都比咩神、気吹戸主神、速佐須良比咩神、市杵島比売神

出世稲荷社

祭神:倉稲魂大神、猿田彦命、大己貴命、天鈿女命、保食命。1952年(昭和27年)に、豊臣秀吉に縁のある京都の出世稲荷神社から勧請されました。

若宮社

祭神:菅原道真公。北室町にあったものが、1877年(明治10年)に移設されました。

水蛭子社

祭神:蛭子命

その他の施設と宝物

境内には重要な文化財として、三十六歌仙貼付の六曲屏風一双が所蔵されています。歴史と文化が息づくこの神社は、奈良市を訪れる際にはぜひ立ち寄りたい名所の一つです。

Information

名称
御霊神社(奈良市)
(ごりょう じんじゃ)

奈良市・生駒市

奈良県