暗峠は、奈良県生駒市西畑町と大阪府東大阪市東豊浦町の境界に位置する峠であり、国道308号線および大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線に指定されています。この峠は古くから「闇峠(くらがりとうげ)」とも記されており、その名の通り、昼間でも薄暗いと感じられるほど木々が生い茂る山道として知られていました。
標高はおよそ455メートルで、暗越奈良街道の中でも特に険しい難所として有名です。とくに大阪側は、約2.5kmにわたって直線的な急勾配が続き、つづら折り(ヘアピンカーブ)の少ない構造となっており、昔も今も通行が困難な区間として知られています。
この峠道の周辺には、石仏、地蔵、古寺などが点在しており、歴史的モニュメントが豊富です。現在ではハイキングコースとしても人気を集め、多くの人が訪れるスポットとなっています。
暗峠の頂上には小さな集落が存在し、2022年現在でも茶店が営業しており、旅人を迎えています。周辺の路面は江戸時代に大和郡山藩が敷設した石畳が現存しており、50メートルほどの区間に渡ってその姿を見ることができます。籠に乗った殿様が滑らないようにと敷かれたこの石畳は、現在でも保存されており、国道に指定されている中では非常に珍しい存在です。
「暗がり峠」の名称については諸説あり、木々が鬱蒼と茂ることから日中でも暗かったという説、「椋嶺峠」が転訛したとする説、「鞍借り」や「鞍換へ」がなまったとする説などがあります。また、落語『伊勢参宮神乃賑』では、「あまりの急坂で馬の鞍がひっくり返りそうになる」ことから「鞍返り峠」と呼ばれたという洒落を交えて語られています。
暗越奈良街道は「日本の道100選」にも選定されており、峠の頂上付近にはそれを示す顕彰碑が建てられています。また、絵本作家・今西祐行による作品『とうげのおおかみ』の舞台としても知られ、文学的な価値も高い場所です。
江戸時代、暗峠は大和郡山藩の本陣が置かれ、参勤交代の道として利用されていました。『河内名所図会』には、山が松や杉で繁り暗く感じられたことから「暗峠」と名付けられたとする記述があります。また、「大阪より大和および伊勢参宮道」とも記されており、多くの茶屋や旅館が建ち並ぶにぎやかな峠村であったことがうかがえます。
井原西鶴の『世間胸算用』には、この周辺で追い剥ぎが出たとの記録があり、旅人の警戒心が必要な難所であったことを物語っています。また、俳聖・松尾芭蕉もこの峠を通ったことで知られ、「菊の香に くらがり越ゆる 節句かな」という句を詠んだとされています。道中には芭蕉にちなんだ石碑もあり、峠の歴史的価値を象徴しています。
1970年(昭和45年)、暗越奈良街道の一部として、暗峠を通る区間が国道308号に指定されました。しかしながら、この峠道は一部区間において車一台がようやく通行可能な狭路となっており、民家の軒先すれすれを走行する箇所もあります。とくに大阪側では最大傾斜31%の急坂がS字カーブで連続し、初心者ドライバーには非常に難しい道のりです。
暗峠の頂上付近には信貴生駒スカイラインが交差していますが、交差地点に出入口はなく、暗峠から直接スカイラインへ進入・退出することはできません。
この地域はハイキングルートとしても整備されており、生駒山からの徒歩アクセスも可能です。また、生駒市のコミュニティバス「たけまる号」(平日のみ運行)を利用すれば、南生駒駅から「暗峠」停留所まで乗車でき、徒歩で登ることなく峠の目前までアクセス可能です。
暗峠は、自然の厳しさと歴史的な趣を兼ね備えた貴重な峠道です。険しい地形の中にも、人々の暮らしや文化が息づいており、歴史散策やハイキングに訪れるには最適の場所といえるでしょう。石畳や石仏、古寺などが静かに佇むこの峠を歩けば、過去の旅人たちの気配を感じることができるかもしれません。