正倉院は、奈良県奈良市の奈良公園内、東大寺大仏殿の北北西に位置する、奈良時代を代表する宝物庫です。校倉造(あぜくらづくり)と呼ばれる独特の木造建築で知られ、8世紀・天平文化の粋を今に伝える存在として、国内外から高い評価を受けています。
1997年(平成9年)には建造物として国宝に指定され、翌1998年(平成10年)には「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして、ユネスコ世界文化遺産にも登録されました。現在、宝物そのものは最新設備の宝庫に移されていますが、正倉院の建物自体が“生きた文化財”といえる貴重な存在です。
正倉院は、8世紀中頃、東大寺の建立と深く関わりながら整備された宝物庫です。759年頃に現在の建物が完成したと考えられており、その後、戦火や大地震といった災害を免れ、1300年近く原形を保ったまま現代まで伝えられています。
この奇跡的な保存状態は、日本建築史上でも特筆すべき点であり、正倉院は現存する奈良時代最大規模の倉庫建築として、学術的にも極めて重要な存在です。
「正倉」とは本来、律令制度下で各地から納められた正税(米・布など)を保管する倉庫を指す言葉でした。寺院においても、寺領からの納入物や仏具、什器などを収める正倉が設けられ、それらを塀で囲った区域を「正倉院」と呼びました。
かつては南都七大寺それぞれに正倉院が存在していましたが、時代の流れとともに失われ、現在では東大寺正倉院のみが現存しています。そのため、今日では「正倉院」といえば、この建物を指す固有名詞として定着しています。
正倉院宝物の起源は、756年(天平勝宝8年)、光明皇太后が夫・聖武太上天皇の七七忌に際し、天皇ゆかりの品々を東大寺の盧舎那仏(大仏)に奉献したことに始まります。
このとき奉献された宝物は約650点、さらに薬物60種にも及び、その後も複数回にわたり献納が行われました。これらの品々が正倉院に納められ、今日に伝わる壮大な宝物群を形成しています。
正倉院宝物の約9割以上は日本で制作されたものですが、その意匠や文様には、中国・西域・ペルシャなどの影響が色濃く見られます。ラピスラズリやトルコ石など、当時としては極めて貴重な素材も使用されており、正倉院はしばしば「シルクロードの東の終着点」と称されます。
これらの宝物は、日本が国際的な文化交流の最前線にあったことを雄弁に物語り、奈良時代の日本文化の成熟度と包容力を今に伝えています。
正倉院は、床下を高く設けた高床式倉庫で、壁には断面が三角形の校木(あぜぎ)を積み重ねる校倉造が採用されています。屋根は寄棟造、瓦葺で、正面約33.1メートル、奥行約9.3メートルという堂々たる規模を誇ります。
宝庫は北倉・中倉・南倉の三つに分かれ、北倉と南倉は校倉造、中倉のみが板倉構造となっています。この構造の違いは長らく謎とされてきましたが、近年の年輪年代法調査により、創建当初から現在の姿であったことが明らかになりました。
校倉造は湿度調整に優れるとされてきましたが、現在では、宝物が良好な状態で保たれた最大の理由は、多重構造の箱に収められていたことによると考えられています。急激な湿度変化を避けることで、1300年を超える保存が可能となったのです。
正倉院は江戸時代以前、朝廷の監督のもと東大寺によって管理されていましたが、1875年(明治8年)に内務省の管理下へ移されました。その後、宮内省、宮内府を経て、現在は宮内庁正倉院事務所が宝庫と宝物を管理しています。
長らく皇室財産として文化財指定の対象外でしたが、世界遺産登録の条件を満たすため、1997年に正倉院正倉(建物)が国宝に指定されました。これにより、国内法と国際的枠組みの双方から保護される存在となったのです。
正倉院宝物は、毎年秋に奈良国立博物館で開催される「正倉院展」で一般公開されます。約9000点に及ぶ宝物の中から、選び抜かれた約70点のみが展示され、毎年多くの来場者を集めています。
現在、正倉院内部は非公開ですが、静かな奈良公園の中に佇むその姿を前にすると、天平の時代と現代が一続きであることを実感できます。正倉院は、単なる宝物庫ではなく、日本文化の記憶を宿す象徴的存在として、今なお人々を魅了し続けています。
10:00~15:00
正倉院展期間中 10:00~16:00
月曜・土曜・日曜
祝日・振り替え休日
年末年始
正倉院展期間中は無休
無料(外観のみ公開)
近鉄:「奈良」駅から徒歩20分
奈良交通バス:「今小路」下車徒歩5分