菅原天満宮は、奈良県奈良市菅原東一丁目に鎮座する歴史ある神社です。古くから「菅原神社(すがわらじんじゃ/すがはらじんじゃ)」とも呼ばれ、古代氏族である土師氏や菅原氏にゆかりの深い神社として知られています。延長5年(927年)に編纂された『延喜式』神名帳にも登載されており、式内社の一つに数えられています。また、近代においては郷社に列格し、2002年(平成14年)より現在の「菅原天満宮」として親しまれています。
当社に祀られている祭神は、以下の三柱です。
もともとは天穂日命一柱のみが祀られていたとされますが、のちに土師氏の遠祖である野見宿祢命と、学問の神様として広く信仰を集める菅原道真公が合祀され、現在の形になったと伝えられています。
天穂日命は、『日本書紀』において「出雲臣や土師連の祖である」と記されており、古代の有力な氏族・土師氏の祖神とされています。土師氏は埴輪や土器の製作、また葬送や古墳の管理を担った伴造氏族であり、野見宿祢命もその代表的な人物です。菅原の地はこの土師氏の拠点であり、後にこの地に住んだ土師氏の一族が「菅原氏」と改姓したことにより、地名と氏名が密接に結びついています。
「菅原」という地名は、スゲ(菅)が自生する草原を意味し、元々は平城宮の西に広がる丘陵地帯全体を指していました。この地に居住した土師氏は、『菅家御伝記』にも「菅原伏見邑に居住した」と記されており、その存在は周辺の古墳群や遺跡からも確認されています。特に「菅原東遺跡埴輪窯跡群」は奈良市指定史跡として知られ、土師氏の活動を示す貴重な遺構です。
創建の年代は明確ではありませんが、古代よりこの地を本拠とする土師氏(後の菅原氏)が、その祖先を祀るために建立したと考えられています。その後、南西に位置する喜光寺(旧・菅原寺)が創建されると、当社はその鎮守社としても機能するようになり、「喜光寺天満宮」とも呼ばれました。
927年に成立した『延喜式』には、当社が「菅原神社」として記載され、大和国添下郡の式内社として格付けされていることが確認できます。社殿は文亀年間(1501年~1504年)と元禄年間(1688年~1704年)の二度の火災によって焼失しましたが、寛保年間(1741年~1744年)には興福寺一乗院宮・真敬法親王の命により再建されました。
明治時代に神仏分離政策が進められる中、当社も喜光寺から独立し、「菅原神社」として郷社に列しました。その後2002年に、現在の「菅原天満宮」へと改称されました。
菅原天満宮では、年間を通じてさまざまな祭事が執り行われています。
天神堀は、菅原道真公の出生地と伝えられる場所であり、現在もその池が「誕生池」として信仰されています。
所在地:奈良県奈良市菅原東一丁目15番1号