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柳生街道

(やぎゅう かいどう)

古の風情を今に伝える奈良の歴史街道

柳生街道は、奈良県奈良市に位置する歴史ある街道で、奈良町から春日山(かすがやま)および高円山(たかまどやま)の谷間を越え、忍辱山(にんにくせん)を経て柳生(やぎゅう)へと至ります。さらにその先は、笠置(かさぎ)や月ヶ瀬(つきがせ)、上野(うえの)方面へと通じています。特に奈良市内から春日山までの区間は、往時の姿を今に残し、東海自然歩道の一部としても指定されているほか、文化庁の「歴史の道百選」にも選ばれた名道です。

柳生街道の歴史

鎌倉時代に始まる長い歴史

この街道の正確な起源は明確ではありませんが、鎌倉時代の初期にはすでに存在していたと考えられています。奈良市高畑町から山間部へと入り、能登川に沿って上る石畳の坂道は「滝坂の道」または「滝坂道」と呼ばれています。この石畳は、江戸時代に奈良奉行によって敷設が命じられたとも、それ以前からあったとも言われています。

滝坂の道と磨崖仏群

能登川はこの道沿いを流れ、小さな滝を連ねながら谷を下ります。沿道には多数の磨崖仏(まがいぶつ)が残っており、奈良から石切峠までの区間では、寝仏、滝坂地蔵、三体地蔵、夕日観音、朝日観音、そして首切地蔵といった仏像が見られます。中でも首切地蔵には、江戸時代の剣豪・荒木又右衛門が試し斬りをしたという伝説が残っています。

街道の峠越えと遺跡群

街道は能登川から離れ、標高470メートルの石切峠へと上っていきます。この峠付近には、国の史跡である「春日山石窟仏」があります。また、さらに南の谷には「地獄谷石窟仏」(同じく国の史跡)が佇み、静寂な山中で仏教芸術に触れることができます。

柳生への道と交通の変遷

柳生街道は明治時代の初期まで、柳生村と奈良の町を結ぶ主要な生活路でした。人々は徒歩で往復し、物資は駄馬によって運ばれていました。1889年には月ヶ瀬街道が、1891年には笠置街道がそれぞれ改修され、街道の交通の便が飛躍的に向上しました。

さらに1897年には、関西鉄道笠置駅が開業し、人々は柳生街道を通らずに笠置経由で汽車を利用するようになりました。昭和初期には春日山の北側を走る県道にバス路線が開設され、交通は現代的な姿に移行していきました。

文化遺産としての保存活動

1996年11月、柳生街道は文化庁により「歴史の道百選」に選定されました。1998年には、春日山原始林が「古都奈良の文化財」として世界文化遺産に登録され、それを機に滝坂の道の石畳も改修されました。1999年には地元の有志により「柳生街道・滝坂の道を守る会」が結成され、定期的に道の清掃や石畳の修復、倒木の撤去などが行われています。

沿道の名所

歴史と信仰を感じさせる名所旧跡

磨崖仏の紹介

仏像に刻まれた祈りのかたち

寝仏(南北朝時代)

金剛界大日如来が岩肌に彫られ、左手側に頭部、中央付近には智拳印を結ぶ両手が見えます。

三体地蔵(室町時代)

三体並んだ地蔵菩薩が彫られており、古くから旅人の安全を見守ってきました。

朝日観音(文永2年・1265年)

実際には観音ではなく、中央に弥勒如来、両側に地蔵菩薩が彫られています。

夕日観音

こちらも実際は観音ではなく、弥勒如来の立像が刻まれています。

地獄谷石窟仏

中央に盧舎那仏(または釈迦如来)、向かって左に薬師如来、右に十一面観音が並びます。中央の仏像は奈良時代または平安時代、左右の仏像はそれ以降の時代の作とされています。

滝坂地蔵(鎌倉時代)

優しい表情の地蔵菩薩が訪れる人々を温かく迎えてくれます。

阿対の石仏

詳細は不明ながらも、古代信仰の痕跡として大切にされています。

Information

名称
柳生街道
(やぎゅう かいどう)

奈良市・生駒市

奈良県