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東大寺

(とうだいじ)

世界最大級の木造仏として圧倒的な存在感を放つ奈良大仏

奈良を代表する世界的仏教寺院

東大寺は、奈良県奈良市雑司町に位置する、日本を代表する仏教寺院の一つであり、華厳宗の大本山として知られています。本尊には、奈良の大仏として全国的に有名な盧舎那仏(るしゃなぶつ)を安置し、その壮大なスケールと深い歴史性から、国内外を問わず多くの参拝者・観光客を惹きつけてきました。

正式名称は金光明四天王護国之寺といい、国家を仏の力で守護することを目的として、奈良時代に聖武天皇の発願により建立された寺院です。山号は持たず、開山(初代別当)は良弁(ろうべん)と伝えられています。

「奈良の大仏」の寺としての東大寺

東大寺は古来より「大仏さんの寺」として人々に親しまれてきました。創建以来、幾度もの戦乱や災害によって堂塔や仏像を失いながらも、そのたびに復興を遂げ、信仰の灯を絶やすことなく今日に至っています。

聖武天皇が全国60余国に建立を命じた国分寺の中でも、東大寺はその中心的存在である総国分寺と位置づけられ、日本仏教史・国家史の両面において極めて重要な役割を果たしてきました。

東大寺の創建と大仏造立

前身寺院・金鐘寺の成立

8世紀前半、現在の大仏殿の東方、若草山の麓には、東大寺の前身とされる寺院が存在していました。『東大寺要録』によれば、天平5年(733年)に創建された金鐘寺(こんしゅじ)が東大寺の起源とされています。

さらに『続日本紀』には、神亀5年(728年)、聖武天皇と光明皇后が早世した皇子・基王の冥福を祈るため、若草山麓に山房を設け、9人の僧を住まわせたことが記されています。これが金鐘寺の原型と考えられています。

国分寺制度と東大寺の成立

天平13年(741年)、聖武天皇は国分寺建立の詔を発し、翌天平14年(742年)、金鐘寺は大和国の国分寺、かつ全国国分寺の中心となる総国分寺に指定され、寺名を金光明寺と改めました。

この頃から、国家仏教の中核としての東大寺の歩みが本格化していきます。

大仏造立の開始と遷都の影響

天平15年(743年)、聖武天皇は日本史上最大級の事業となる大仏造立の詔を発しました。当初、大仏造立は紫香楽宮(現在の滋賀県甲賀市)周辺で始められましたが、度重なる遷都の末、天平17年(745年)に都が平城京へ戻ると、現在の東大寺の地で再び事業が進められることとなります。

この国家的大事業を成功させるため、朝廷は当時民衆から絶大な支持を受けていた僧行基を大僧正に任じ、広範な協力を得ました。また、鎮守社として手向山八幡宮が創建され、宗教的な守護体制も整えられました。

大仏開眼と伽藍の完成

長年に及ぶ難工事の末、天平勝宝4年(752年)、インド出身の僧・菩提僊那を導師として、盛大な大仏開眼会が挙行されました。続いて大仏殿の建設が進められ、天平宝字2年(758年)に完成を迎えます。

東大寺では、大仏造立に尽力した聖武天皇・良弁・行基・菩提僊那の四名を「四聖」として尊崇しています。

奈良時代の東大寺伽藍と宗教的特徴

壮大な奈良時代伽藍

奈良時代の東大寺伽藍は、日本仏教史上でも屈指の規模を誇りました。南大門・中門・大仏殿・講堂が南北一直線に並び、その左右には高さ70メートル以上と推定される東西二基の七重塔がそびえていました。

さらに僧坊、食堂、回廊などが整然と配置され、完成までには約40年もの歳月を要したとされています。

六宗兼学の学問寺院

奈良時代の東大寺は、華厳宗のみならず、法相宗・律宗・三論宗などを含む南都六宗を兼学する寺院でした。当時は現在のような宗派意識は薄く、東大寺は学問と信仰の両面で仏教の中心的役割を果たしていました。

中世から近世へ ― 焼失と再建の歴史

南都焼討と俊乗房重源の復興

治承4年(1181年)、平重衡による南都焼討によって、東大寺は壊滅的な被害を受け、大仏殿をはじめとする主要伽藍が焼失しました。

その後、後白河法皇の命により、俊乗房重源が大勧進職に任命され、源頼朝の支援も受けながら復興事業が進められました。建久6年(1195年)には、再建された大仏殿の落慶法要が盛大に営まれています。

戦国時代の再焼失と江戸時代の再興

永禄10年(1567年)、戦国の争乱により再び大仏殿は焼失します。その後長らく再建は進みませんでしたが、江戸時代に入り、僧公慶の勧進活動により全国から寄進が集まり、元禄年間に大仏の修理、宝永6年(1709年)に現在の大仏殿が完成しました。

現在の東大寺と世界遺産

現在の東大寺大仏殿は、江戸時代中期に再建された三代目大仏殿で、創建時より間口は縮小されていますが、その威容は今なお圧倒的です。

1998年(平成10年)、東大寺は「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録され、日本のみならず世界的にも貴重な文化遺産として評価されています。

大仏殿の見どころ

建築様式と規模

大仏殿(金堂)は寄棟造・本瓦葺き、間口57m×奥行50.5m×高さ46.8m。創建当時とほぼ同じ奥行・高さを保ちつつ、間口を3分の2に縮小しました。鎌倉期に宋から伝来した「大仏様(だいぶつよう)」建築が基本で、水平の貫を多用して堅牢さを実現しています。

盧舎那仏座像(奈良大仏)

像高14.7mの銅造坐像。蓮華座や袖部に奈良時代の鋳造部が残り、頭部は江戸時代の再鋳造。華厳経の世界観を象徴し、広大な堂内で威容を放ちます。

内陣の諸仏と装飾

大仏左右には木造如意輪観音坐像・虚空蔵菩薩坐像(ともに重要文化財)、堂内北隅には広目天・多聞天像。元来の四天王のうち持国天・増長天は未完成の頭部のみが残ります。また、銅製八角燈籠(国宝)や揚羽蝶形華瓶など寄進品も必見です。

南大門と仁王像

大仏殿への参道起点南大門(国宝)は1199年再建。高さ8.4mの木造金剛力士立像(運慶・快慶作)が左右に安置され、「阿形」「吽形」が逆配置なのも東大寺ならでは。

周辺伽藍との一体感

大仏殿前の八角燈籠、東西回廊、中門をくぐると伽藍の奥に二月堂・法華堂(三月堂)が望める配置。四季折々の若草山を背に、伽藍全体が一つの大舞台のように迫ります。

東大寺の文化財

東大寺は、奈良時代以来の巨刹であり、建築・彫刻・典籍・工芸など多岐にわたる国宝・重要文化財を擁します。

建造物(国宝)

美術工芸品(国宝・重要文化財)

彫刻・塑造
絵画・典籍
工芸品・金工

年中行事

東大寺では年間を通じて多彩な法要・祭礼が行われ、文化財と伝統が息づいています。

主な行事

拝観案内

通年有料拝観スポット

無料拝観・特別開扉

無料拝観
年1–数回の特別開扉

写真撮影について

堂内での仏像撮影は自由(携帯・カメラ可)ですが、三脚は禁止です。

アクセス

鉄道・徒歩

バス

自動車

観光地としての魅力

大仏殿、南大門、二月堂、法華堂(三月堂)など、国宝・重要文化財が点在する東大寺は、単なる観光地ではなく、日本の精神文化と歴史を体感できる場所です。

四季折々の自然に囲まれた境内を歩きながら、1300年以上続く信仰と再生の歴史に思いを馳せることは、奈良観光の大きな醍醐味といえるでしょう。

歴史

### 創建と大仏造立

東大寺の歴史は8世紀前半にさかのぼります。創建当初、若草山麓に金鐘寺という寺院がありました。この金鐘寺が東大寺の起源とされています。天平5年(733年)に創建された金鐘寺は、その後天平14年(742年)に金光明寺と改称されました。

東大寺の名が登場するのは、天平19年(747年)からです。同年、聖武天皇が大仏造立の詔を発しました。当時、天皇は紫香楽宮におり、大仏造立もここで始まりました。天平17年(745年)には都が平城京に戻り、大仏造立も現在の東大寺の地で行われることになりました。

### 大仏造立の背景

大仏造立は大規模な工事であり、多くの民衆の協力が必要でした。行基を大僧正として迎え、大仏の鋳造は天平19年(747年)に始まり、天平勝宝4年(752年)に開眼会が行われました。その後、大仏殿の建設が始まり、天平宝字2年(758年)に完成しました。

### 奈良時代の東大寺

奈良時代の東大寺の伽藍は、南大門、中門、金堂(大仏殿)、講堂が一直線に並び、その周囲には僧房や食堂、七重塔などが配置されていました。伽藍が完成するまでには約40年かかりました。当時、東大寺は「六宗兼学の寺」として、複数の宗派が共存していました。

### 平安時代の変遷

平安時代に入ると、東大寺は桓武天皇の南都仏教抑圧策により一時的に圧迫を受けましたが、空海が別当となり真言宗や天台宗も学ぶ「八宗兼学の寺」となりました。また、天災や火災で度々被害を受けましたが、皇族や貴族の寄進により復興が進みました。

### 中世以降の復興

1180年、平重衡による南都焼討で東大寺は壊滅的な打撃を受けました。その後、後白河法皇の命により重源が大仏や諸堂の再興に当たり、1195年には再建大仏殿が完成しました。しかし、戦国時代には再び兵火により多くの堂塔が焼失しました。

### 江戸時代の再建

江戸時代に入ると、公慶による大仏の修理と大仏殿の復興が行われ、1709年に完成しました。現存する大仏殿は高さと奥行きは天平時代とほぼ同じですが、間口は縮小されています。再建にあたっては方広寺大仏殿の意匠が参考にされたと考えられています。

### 方広寺との関係

江戸時代中期、東大寺と京都の方広寺には大仏・大仏殿がありましたが、1798年に方広寺大仏は落雷で焼失しました。その後、東大寺は神仏分離により手向山八幡宮が独立し、現在に至ります。

大仏(盧舎那仏像)

## 国宝とその意義

大仏は国宝であり、正式名称は「銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)1躯」です。その像高は14.7メートルに達します。盧舎那仏は『華厳経』に登場する仏で、蓮華蔵世界の中心に位置し、大宇宙の象徴とされています。

## 木造如意輪観音坐像・虚空蔵菩薩坐像(重要文化財)

大仏の左右には、木造の如意輪観音坐像と虚空蔵菩薩坐像が脇侍として安置されています。これらの像は大仏(銅造)とは異なり、京都と大坂の仏師によって江戸時代に製作され、その技術と芸術性で知られています。如意輪観音像は元文3年(1738年)ごろに完成し、虚空蔵菩薩像は宝暦2年(1752年)に完成しました。

## 金銅八角燈籠(国宝)

大仏殿の正面に立つ金銅八角燈籠も国宝です。高さ464センチメートルで、奈良時代に創建されたものですが、たびたび修理されています。燈籠の火袋には八角形の形状で、四面には獅子や音声菩薩が浮彫で表現されています。竿の部分には経典の一部が刻まれており、歴史と宗教的意義を伝えています。

南大門

南大門は国宝であり、平安時代の応和2年(962年)に台風で倒壊し、その後鎌倉時代の正治元年(1199年)に再建されました。この門は、東大寺の中興の祖である重源が宋から伝えた建築様式を採用したことで知られています。その特徴は、柱を貫通する水平材「貫」を多用し、天井を張らずに構造材を露出させるなど、堅固な構造と装飾の融合です。金剛力士像と石造獅子像(重要文化財)南大門内には金剛力士像と石造獅子像が安置されています。金剛力士像は高さ8.4メートルの木造で、建仁3年(1203年)に短期間で造られました。左右逆の配置で、吽形(口を閉じた像)が右に、阿形(口を開いた像)が左に置かれています。石造獅子像は南大門北面の東西の間に位置し、宋人の字六郎によって建久7年(1196年)に製作されました。元々は大仏殿中門に置かれていましたが、室町時代に南大門に移されました。彩色が施されていた痕跡がわずかに残り、台座には重源ゆかりの文様が見られます。

二月堂

二月堂は、旧暦の2月に行われる修二会(お水取り)に由来する名前で知られています。建物自体は治承4年(1181年)と永禄10年(1567年)の2度の大火を免れましたが、寛文7年(1667年)にお水取りの最中に失火で焼失し、その後2年をかけて再建されました。本尊は「大観音」と呼ばれる二体の十一面観音像で、どちらも絶対秘仏とされています。二月堂自体は2005年に国宝に指定されました。建物の西側は急斜面に立ち、懸崖造りの構造となっています。周囲には遠敷神社と飯道神社、そして崖下には参籠所や仏餉屋、興成社があります。また、修二会で使用される若狭井のための閼伽井屋も重要文化財として残っています。

三月堂(法華堂)

法華堂は、東大寺境内の東側、若草山の麓に位置しています。この建物は、奈良時代の貴重な建築物の一つであり、天平仏の宝庫として知られています。もともとは羂索堂と呼ばれ、東大寺の前身である金鐘寺の堂として建てられました。建築の主な部分には正堂と礼堂があり、それぞれ奈良時代の建築の一部と後に付加された鎌倉時代のものが含まれます。法華堂には乾漆像や塑造像など多くの仏像が安置されています。その中でも特筆すべきは奈良時代の乾漆不空羂索観音立像と塑造執金剛神立像です。不空羂索観音像は高さ3.62メートルで、三眼八臂の特徴を持つ観音像として知られています。また、執金剛神像は秘仏とされ、仁王像を1体で表現したものです。

伽藍

東大寺の境内は平城京の外京の東端を区切る東七坊大路(現国道169号)を西端とし、西南部は興福寺の境内と接しています。中門と大仏殿南大門をくぐり参道を進むと、正面には中門(南中門)があり、その先に大仏殿(正式には「金堂」)があります。大仏殿の前には東大寺創建時に建てられた八角灯籠があります。中門からは東西に回廊が伸び、大仏殿の左右に続いています。元々は北側にも回廊があり、その中央には「北中門」がありましたが、現在は南側にしか残っていません。本坊とその周辺南大門から中門に向かう参道の東側には東大寺の本坊があり、西側には東大寺福祉療育病院などがあります。大仏殿の東方には俊乗堂、行基堂、念仏堂、鐘楼などがあり、さらにその東方の山麓には「上院(じょういん)」と呼ばれる地区があります。ここには開山堂、三昧堂(四月堂)、二月堂、法華堂(三月堂)があり、その南には別法人の鎮守の手向山八幡宮があります。指図堂と正倉院大仏殿の西方には指図堂、勧進所、戒壇院などがあり、北方には正倉院の校倉造宝庫と鉄筋コンクリート造の東宝庫・西宝庫があります。正倉院の建物と宝物は国有財産で、宮内庁正倉院事務所が管理しています。境内西北端には奈良時代の遺構である転害門があります。その他の堂塔かつては大仏殿の北に講堂と僧坊がありました。これらの東には食堂があり、僧坊は講堂の北・東・西の3面にコの字形に設けられた「三面僧坊」と呼ばれました。大仏殿の手前の東西には東塔・西塔(両方とも七重塔)がありましたが、現在は遺構のみが残っています。

Information

名称
東大寺
(とうだいじ)
リンク
公式サイト
住所
奈良県奈良市雑司町406-1
電話番号
0742-22-5511
営業時間

大仏殿
4月~10月 7:30~17:30
11月~3月 8:00~17:00

法華堂(三月堂)・戒壇院千手堂
8:30~16:00

東大寺ミュージアム
4月~10月 9:30~17:30
11月~3月 9:30~17:00

料金

入堂・拝観料 
大人(大学生以上)600円
高校生 600円
中学生 600円
小学生 300円
大仏殿・法華堂・千手堂・東大寺ミュージアム、それぞれで入堂料が必要

アクセス

JR・近鉄奈良駅からバスで7分 *市内循環 → 大仏殿春日大社前下車から徒歩で5分

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