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春日山石窟仏

(かすがやま せっくつぶつ)

春日山石窟仏は、奈良県奈良市東部に連なる春日山の山中、柳生街道の石切峠付近に静かに佇む歴史的な磨崖仏群です。周囲を深い森に囲まれ、人目につきにくい場所にあることから、古くより地元では親しみを込めて「穴仏(あなぼとけ)」とも呼ばれてきました。

本石窟仏は、平安時代末期に造立された仏教遺跡として高い価値を有し、現在は国の史跡に指定されています。自然の岩壁を巧みに利用し、宗教的世界観を立体的に表現したその姿は、当時の信仰と造形美の融合を今に伝える貴重な文化財です。

石窟仏の構造と造立の背景

春日山石窟仏は、南斜面に露出した凝灰岩の岩壁を掘り込み、内部を龕(がん)とした石窟形式の仏像群です。岩肌を直接彫り出し、かつては彩色も施されていたと考えられています。自然と人工が一体となった構造は、山岳信仰と仏教信仰が融合した奈良ならではの宗教文化を象徴しています。

石窟は東窟西窟の二つから成り、それぞれに異なる仏教的構成と意味を持つ仏像が刻まれています。

東窟の構造と仏像配置

東窟は、間口約5メートル、奥行約2.4メートル、高さ約2.4メートルという比較的大規模な石窟です。内部中央には柱状の岩を残し、その四面それぞれに如来坐像が一体ずつ彫刻されています。この構成は、宇宙の中心に仏が存在するという密教的・顕教的思想を象徴するものと考えられています。

さらに、東壁には菩薩形立像が三体、西壁には地蔵菩薩立像が四体配されています。地蔵菩薩は六道に迷う衆生を救済する存在であり、この配置からも、石窟仏が死後の安寧や来世救済を願う場であったことがうかがえます。

また、両側壁には天部立像(二天像)が一体ずつ刻まれており、仏法を守護する存在として空間全体を引き締めています。

西窟の構造と仏像群

西窟は、間口約3.6メートル、奥行約2メートル、高さ約2.4メートルと、東窟よりやや小規模ですが、宗教的意義は極めて高いものです。現在確認できる仏像としては、如来坐像三体多聞天立像一体が残されています。

如来坐像三体は、密教における金剛界五仏のうちの三尊と考えられており、失われた二尊を含めると、当初は極めて体系的な仏教宇宙観が表現されていたことが想像されます。

造立年代と銘文

西窟の壁面には、久寿2年(1155年)および保元2年(1157年)の年号を記した造立銘が刻まれています。この銘文により、春日山石窟仏が平安時代末期、12世紀中頃に造られたことが明確に確認されています。

久寿2年の銘文は現在一部が欠損していますが、江戸時代末期に記録された文献によって内容が補完されており、学術的にも信頼性の高い史料とされています。

春日山の地理と信仰

春日山の位置と名称

春日山は、奈良市街地の東側、春日大社の背後に広がる山地一帯を指します。一般には、標高283メートルの御蓋山(みかさやま)と、標高497メートルの花山(はなやま)を中心とする地域を指し、御蓋山を「前山」、花山を「奥山」と呼び分けることもあります。

さらに、標高518メートルの芳山などを含め、これらを総称して春日山と呼ぶ場合もあります。

神奈備の山としての春日山

春日山は、古代より神が宿る山、すなわち神奈備(かんなび)の山として崇敬されてきました。平城京遷都後は朝廷からも重視され、遣唐使が出航前にこの地で天神地祇を祀り、航海の安全を祈願したという記録も残されています。

藤原氏と春日山

768年(神護景雲2年)、藤原永手によって春日大社が創建され、春日山は藤原氏の氏神信仰と深く結びつくことになります。近年の研究では、創建はさらに遡る可能性も指摘されています。

841年(承和8年)には、春日大社の神域として狩猟や伐採が禁じられ、山全体が神体山として保護されました。春日山に自生する榊は「春日神木」と称され、興福寺や春日大社が強訴を行う際には、神威を示す象徴として用いられました。

自然と文化遺産の宝庫

春日山は、山岳修行や祈雨の霊場としても多くの僧侶に尊ばれ、春日山石窟仏をはじめとする数多くの仏教遺跡が残されています。

また、殺生が禁じられてきた結果、原生的な森林が保たれ、1924年(大正13年)には春日山原始林として天然記念物に指定されました。さらに現在では、「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産にも登録されています。

磨崖仏とは

磨崖仏(まがいぶつ)とは、自然の岩壁や露岩に直接彫刻された仏像や仏教尊像の総称で、「摩崖仏」とも表記されます。人工的な堂宇とは異なり、自然そのものを信仰空間とする点に大きな特徴があります。

春日山石窟仏は、日本各地に点在する磨崖仏の中でも、保存状態・規模・宗教的構成の点で特に優れた存在であり、奈良の歴史と信仰の深さを体感できる貴重な文化遺産といえるでしょう。

Information

名称
春日山石窟仏
(かすがやま せっくつぶつ)

奈良市・生駒市

奈良県