花と歴史に包まれた古代日本の歴史を感じさせる名刹 長岳寺は、奈良県天理市柳本町の東方、釜口山(かまのくちさん)の麓に広がる高野山真言宗の古刹です。山号は釜の口山、本尊は阿弥陀如来。古くから「釜口のお大師さん」の名で親しまれ、四季折々の花と数多くの文化財を有する名寺として、多くの参拝者や観光客を迎えてきました。日本最古の歴史道といわれる山の辺の道のほぼ中間点に位置し、古代大和の風景と信仰の歴史を体感できる場所としても知られています。 長岳寺の成り立ちと由緒 空海(弘法大師)による創建 長岳寺の創建は、天長元年(824年)。第53代淳和天皇の勅願により、空海(弘法大師)が大和神社の神宮寺と...»
日本最古級の神域が語る古代の記憶 石上神宮は、奈良県天理市布留町に鎮座する、日本でも屈指の古社です。日本に現存する最古の道として知られる「山の辺の道」の途上に位置し、深い緑に包まれた境内は、太古から連綿と続く信仰の歴史と神聖な空気に満ちています。古くは「いわがみさん」「布留の社」などと親しまれ、幕末から明治時代にかけても地域の人々の信仰を集めてきました。 式内社(名神大社)に列し、二十二社の中でも中七社として古くから崇敬されてきました。近代社格制度においては官幣大社に列し、現在は神社本庁の別表神社に指定されています。 日本書紀が伝える、神宮としての特別な位置づけ 奈良時代に成立した日本...»
郡山城は、奈良県大和郡山市に位置し、大和国に築かれた中世から近世にかけて築かれていた歴史ある日本の城です。この城は戦国時代から江戸時代にかけての重要な拠点であり、豊臣政権下においては、豊臣秀吉の異父弟である羽柴秀長の居城として知られています。秀長が治めていた大和・紀伊・和泉の三国100万石の中心であり、その後江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれ、譜代大名の支配を受けながら、明治維新を迎えるまで歴史の舞台となり続けました。 城の概要と立地 郡山城の跡地は、秋篠川と富雄川の間にある西京丘陵の南端に位置し、平山城または平城の形態を持ちます。奈良の地は良質な石材に乏しく、城郭建築に必要な石材を各戸から...»
竜田公園は、奈良県生駒郡斑鳩町南西部、竜田川沿いに広がる県立都市公園です。総延長は約2km、面積は約14ヘクタールに及び、川と山、そして歴史文化が一体となった自然豊かな景勝地として知られています。古来より和歌に詠まれてきた竜田の地は、龍田神社の鎮座地としても知られ、自然と信仰、文学が調和した特別な場所です。 古歌に詠まれた紅葉の名所 竜田川とその周辺は、平安時代から紅葉の名所として名高く、多くの歌人たちに愛されてきました。とりわけ有名なのが、在原業平による 「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」 という和歌です。川面を染める紅葉の美しさを、まるで水が紅色に染...»
聖徳太子により推古天皇の時代607年に創建とされる、古代寺院の姿を現代に伝える仏教施設。創建当時は斑鳩寺と呼ばれ、後に法隆寺と改称されました。 境内の広さは約18万7千平方メートルにも及び、金堂や五重塔を中心とする西院伽藍、夢殿を中心とした東院伽藍に分かれています。 西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群であり、東院伽藍も古代建築の貴重な例とされています。 さらに、法隆寺は飛鳥・奈良時代の仏像や仏教工芸品など多数の国宝や重要文化財を所蔵しています。 「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、日本で最初の世界遺産になりました。 国宝に指定されている金...»
奈良県北中部に位置する、天理市発祥の白菜を主体とした野菜の具が特徴の「スタミナラーメン」と呼ばれるご当地ラーメン。豚骨や鶏ガラをベースにした濃厚スープに、にんにくや豆板醤で刺激のある味付けに仕上げ、具材には炒めた白菜や豚肉、そして天理ラーメンにおいて不可欠な”にら”が使われる。味は濃厚かつピリ辛で、典型的なこってりラーメン。 現在では、奈良県内のラーメン店では「スタミナラーメン」の名称で、天理ラーメンを提供している店がほとんどで、定食屋でも提供する店もある。関西一円にも天理ラーメンの店舗が展開しており、ボリュームもたっぷりのラーメンが手軽に味わえる。 1968年(昭和43年)に奈良県で屋台...»
斑鳩町は、奈良県の北西部に位置し、生駒郡に属している町です。この地域は、日本の歴史や文化を今に伝える数々の寺院や古墳、そして自然景観に恵まれており、古都奈良の魅力が色濃く残る場所として多くの観光客に親しまれています。 町の特徴と景観の保全 法隆寺を中心とした歴史的風土 斑鳩町の象徴ともいえるのが、世界文化遺産に日本で初めて登録された法隆寺です。この法隆寺を中心に、多くの歴史的社寺や史跡が点在しています。これらの建造物群は「歴史景観区域」に指定されており、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法(古都保存法)」に基づいて、歴史的風土保存区域および特別保存地区として厳重に保護されてい...»
法起寺は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の仏教寺院で、その正式な山号は「岡本山」です。本尊は十一面観音であり、かつては「岡本寺」や「池後寺(いけじりでら)」とも呼ばれていました。聖徳太子が建立した七大寺の一つに数えられることもありますが、実際の完成は太子が没してから数十年後のこととされています。現在は「法隆寺地域の仏教建造物」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録され、古都奈良の仏教文化を象徴する重要な史跡となっています。 寺号と名称の由来 法起寺はかつて「ほっきじ」とも読まれていましたが、世界遺産登録時に法隆寺と名称の統一を図るため、法隆寺の管長であった高田良信師により正式に「ほう...»
法隆寺(旧字体:灋隆寺)は、奈良県生駒郡斑鳩町に位置する、日本を代表する古代仏教寺院です。聖徳宗の総本山であり、山号はありません。本尊は釈迦如来。創建当初は斑鳩寺(いかるがでら)、あるいは鵤寺と呼ばれていましたが、後に現在の法隆寺という名称が定着しました。また、古くから学問の寺としても知られ、「法隆学問寺」の別称を持っています。 7世紀に創建された法隆寺は、世界最古の木造建築群を今に伝える寺院として、国内外から高い評価を受けています。聖徳太子ゆかりの寺院として、日本仏教史・建築史・美術史のすべてにおいて極めて重要な存在であり、日本文化の源流を体感できる観光地です。 世界遺産としての評価 ...»
中宮寺は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北に位置する聖徳宗の寺院で、山号は「法興山」です。本尊は如意輪観音で、法隆寺に隣接しています。その創建は聖徳太子が母后である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)のために建立した尼寺と伝えられています。開基(創立者)は聖徳太子または間人皇后とされ、日本最古の刺繍である「天寿国繡帳」(国宝)を所蔵していることでも知られています。 歴史 創建と移転 中宮寺は現在の法隆寺東院の北に位置していますが、創建当初は現在地から約500メートル東にある「中宮寺跡史跡公園」の場所にありました。この旧寺地からは7世紀前半の創建を示す遺構が発掘されており、法隆寺とほぼ...»
吉田寺は、奈良県生駒郡斑鳩町小吉田に位置する浄土宗の寺院で、山号は清水山と称します。本尊は阿弥陀如来で、古くから「ぽっくり寺」として知られています。この愛称は、平穏で安らかな往生を願う信仰から生まれたもので、特に年配の参拝者に親しまれています。 吉田寺は自然豊かな環境にあり、四季折々の風景が楽しめることから、訪れる人々に静かな癒しの時間を提供しています。特に桜や紅葉の時期には、境内が美しい彩りに包まれ、多くの参拝者や観光客で賑わいます。 歴史 創建の由来 寺伝によれば、吉田寺は天智天皇(在位:668年 - 671年)の勅願により創建されたとされています。これは天皇の妹である間人皇女(は...»
法輪寺は、奈良県生駒郡斑鳩町三井に位置する聖徳宗の寺院で、山号を妙見山と称します。本尊は薬師如来で、古くから病気平癒や健康長寿を願う人々の信仰を集めてきました。地元では「三井寺(みいでら)」の名でも親しまれ、「法林寺」「法琳寺」と表記されることもあります。 法輪寺は、世界遺産として知られる法隆寺東院の北方に位置し、斑鳩の里に点在する数多くの古寺の中でも、飛鳥仏を今に伝える貴重な存在です。静かな田園風景の中に佇む境内は、観光地としての華やかさよりも、歴史と信仰が息づく落ち着いた雰囲気を大切にしており、じっくりと古代仏教文化に触れたい人にとって格好の訪問先となっています。 斑鳩の里と法輪寺の立...»
斑鳩神社は、奈良県生駒郡斑鳩町に位置する歴史ある神社で、法隆寺の北東にそびえる天満山に鎮座しています。この神社は、平安時代の著名な学者・政治家であり、学問の神として知られる菅原道真公を主祭神としています。 法隆寺の鎮守四社のひとつであり、寺の鬼門を守護する存在として深い関係を持ち続けてきました。そのため、現在でも法隆寺との結びつきが強く、地元の人々や参拝者から厚く信仰されています。 歴史 創建と発展 斑鳩神社の創建は、平安時代中期に遡ります。天慶年間(938年~947年)に、興福寺の僧であり、法隆寺の別当職も兼ねていた湛照僧都が創祀したと伝えられています。湛照は菅原氏の末裔とされ、同氏...»
龍田神社は、奈良県生駒郡斑鳩町に位置する由緒ある神社で、式内社として古くから信仰を集めてきました。旧社格は県社であり、龍田大社(奈良県三郷町)と並ぶ重要な神社のひとつです。法隆寺に近く、その鬼門を守護する神として、歴史的に深い関係を持っています。神社の周囲は静かな自然に包まれ、古代からの風情を今に伝えています。 祭神 本殿の祭神 龍田神社の本殿には以下の2柱の大神が祀られています。 天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ) 国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ) これらの神々は、天地創造や国土安定を象徴する神とされ、古くから自然や風の力を司る存在として信仰されてきました。 ...»
三室山は、奈良県生駒郡斑鳩町神南四丁目に位置する、標高82メートルの小さな山です。竜田川の最下流右岸に寄り添うようにたたずみ、古くから日本文学や信仰と深く結びついてきました。現在は県立竜田公園の一部として整備され、桜と紅葉の名所として多くの人々に親しまれています。 古歌に詠まれた三室山の歴史 三室山は平安時代、多くの和歌に詠まれた歌枕として知られています。とりわけ有名なのが、百人一首にも選ばれた能因法師の歌、 「嵐ふく 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり」 です。この一首により、三室山と竜田川は紅葉の名所として日本文学史にその名を刻みました。また、在原業平による「ちはやぶる...»
竜田川は、大和川水系に属する一級河川で、奈良県と大阪府の境付近に位置する生駒山(標高642m)の東麓から南へ流れ、斑鳩町付近で大和川に合流する全長約15kmの河川です。流域面積は約54平方キロメートルにおよび、古くから「平群川(へぐりがわ)」や「生駒川(いこまがわ)」と呼ばれてきました。その美しい流れは、四季折々の風景と共に多くの和歌に詠まれ、日本文化に深く根ざした存在です。 地理と流域 川の源流と流れ 竜田川は、生駒山の東麓から湧き出し、奈良県生駒市、生駒郡平群町、生駒郡斑鳩町を流れて大和川に注ぎます。その途中で、生駒谷や平群谷といった広々とした谷を形成し、豊かな自然環境を育んでいます...»
藤ノ木古墳は、奈良県生駒郡斑鳩町に位置する、古墳時代後期に築かれた円墳です。法隆寺から西へ約350メートルの場所にあり、その歴史的重要性から国の史跡に指定されています。その名称は所在地の字「藤ノ木」に由来していますが、古くは「ミササキ」や「陵山(みささぎやま)」とも呼ばれていたことが、法隆寺関係の古文書や古記録からわかっています。 古墳の概要 立地と現状 藤ノ木古墳は法隆寺の西院伽藍から西に約350メートルの位置にあり、現在は周囲が公園として整備されています。園内には説明板や散策路が設置されており、歴史愛好者や観光客が訪れるスポットとして親しまれています。また、古墳の南側約200メートル...»
仏塚古墳は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺に位置する方墳で、奈良県指定史跡として保存されています。古墳は奈良盆地北西部、法隆寺の北側に広がる小丘陵(寺山)から北へ延びる小尾根の先端に築造されました。その名の通り、中世には仏堂として再利用され、多くの仏像や仏具が発見されたことから「仏塚」の名がつけられています。1976年度(昭和51年度)に奈良県立橿原考古学研究所と斑鳩町教育委員会による発掘調査が行われ、その歴史的価値が明らかになりました。 墳丘の形状 墳形は方形で、一辺約23メートル、高さは4メートル以上に達します。墳丘の盛土には周辺の包含層が使用されており、発掘時には縄文土器片や弥生土器片、石...»
達磨寺は、奈良県北葛城郡王寺町に位置する臨済宗南禅寺派の寺院で、山号は片岡山です。ご本尊には千手観音、達磨大師像、聖徳太子像が安置されており、その歴史は古く、多くの伝説と文化財に彩られています。特に「片岡山飢人伝説」にまつわる逸話が有名であり、地域の歴史と信仰の中心として親しまれています。 創建と歴史 片岡山飢人伝説と寺の起源 達磨寺の起源は、推古天皇21年(613年)の冬にさかのぼります。伝説によると、聖徳太子が片岡山を通りかかった際、飢えに苦しむ異人に遭遇しました。太子はその異人に衣服と食物を与え、後に異人の死を知り、丁重に葬ったとされています。その後、異人の墓を訪れると、遺体は消え...»
明神山は、奈良県北葛城郡王寺町に位置する標高274mの山で、金剛山地の北端に位置します。その特異な地形と長い歴史から、古くから信仰の対象とされてきました。現在は「明神山(送迎山)」として国の登録記念物にも登録され、観光やハイキングの名所として親しまれています。 展望の魅力 山頂には「水神社」と「悠久の鐘」があり、ほぼ360度にわたる広大な眺望を楽しむことができます。天気が良ければ、東の奈良盆地から西の大阪平野、さらには遠く阪神地域まで一望できるため、多くの登山者や観光客に人気です。特に夕日の美しさは格別で、日が沈む瞬間には赤く染まる空が訪れる人々を魅了します。 歴史と信仰 明神山は、古...»
天理市は、奈良県北中部に位置する市で、日本の古代史と近代宗教文化の双方を色濃く映し出す特色ある地域です。市の中心部には天理教関連の施設が集中しており、その独特な都市景観から「宗教都市」として全国的に知られています。市名そのものも天理教に由来しており、信仰とまちづくりが深く結びついた都市として発展してきました。 一方で、天理市は宗教都市という一面だけでなく、日本最古級の道や巨大古墳群、古代豪族の拠点跡など、日本国家誕生の原風景とも言える歴史資源を数多く有しています。市域全体がまるで巨大な歴史博物館のようであり、歩くほどに古代から現代へと続く時間の流れを体感できる観光地です。 地理と交通の要衝...»
古代日本の面影を今に伝える道 山辺の道は、日本に現存する古道の中でも最も古いとされる、歴史的に極めて重要な道の一つです。奈良県に位置し、古代大和の山辺郡に通じることからこの名が付きました。古風には「山辺道」「山邊道」などとも表記され、『日本書紀』や『古事記』といった日本最古級の文献にも登場する、極めて由緒ある道です。 道の位置と構造 山辺の道は、奈良盆地の東側を南北に縫うように走り、三輪山の麓(桜井市)から春日山の麓(奈良市)へと続きます。現在ではおおよそ35kmにおよぶこの道は、山の裾を縫うようにして続くため、道幅は狭く、時に2メートルに満たない箇所もあります。曲がりくねった自然な造形...»
西殿塚古墳は、奈良県天理市中山町に位置する前方後円墳であり、大和古墳群(中山支群)を構成する重要な古墳のひとつです。現在は宮内庁によって第26代継体天皇の皇后である手白香皇女(たしらかのひめみこ)の陵「衾田陵(ふすまだのみささぎ)」として治定されており、皇后陵拝所が設けられています。 古墳の規模と構造 西殿塚古墳は、奈良盆地の東縁にある丘陵地に築かれた壮大な前方後円墳で、東側には東殿塚古墳が隣接しており、この2基は大和古墳群の中でも特に高所に位置し、奈良盆地を一望できる景勝地でもあります。 墳丘の詳細 墳丘の全長は約230メートルに達し、大和古墳群の中では最大規模とされています。構造は...»
櫛山古墳は、奈良県天理市柳本町に位置する、古墳時代前期後半に築造された古墳です。古墳の形状は「双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)」と呼ばれ、前方後円墳に似ながらも、より特異な構造を有しています。櫛山古墳は、柳本古墳群に属しており、特に行燈山古墳(崇神天皇陵)と接するように隣接していて、山側の高台に築かれています。 特異な墳形:双方中円墳 櫛山古墳は、その独特な墳形で知られており、中円部を中心として西に前方部、東に後方部を持つ構造です。類似する墳形は全国的にも珍しく、岡山県の楯築遺跡や香川県高松市の石清尾山古墳群に属する猫塚古墳などが挙げられます。いずれも古墳時代前期後半に属し、弥生時代末...»
黒塚古墳は、奈良県天理市柳本町に所在する前方後円墳です。日本の古代史において非常に重要な古墳の一つとされており、その出土品や構造から古墳時代の初期の文化や葬制を知るうえで貴重な資料となっています。 立地と所属 この古墳は、奈良盆地の東南部に広がる柳本古墳群の一角を占めており、自然の台地の縁辺に築かれています。周囲には数多くの古墳が点在しており、古代豪族の存在を物語る地域となっています。 国の史跡指定 黒塚古墳は、平成13年(2001年)1月29日に国の史跡に指定されました。また、出土した副葬品のうち重要なものは「奈良県黒塚古墳出土品」として平成16年(2004年)に国の重要文化財に指定...»
天理市立黒塚古墳展示館は、奈良県天理市に位置し、2002年10月12日に開館した歴史資料館です。奈良時代以前、古墳時代の貴重な出土品を中心に展示されており、訪れる人々に古代の文化や歴史をわかりやすく紹介しています。 設立の経緯と目的 本施設は、1998年に行われた発掘調査で、黒塚古墳から33面の三角縁神獣鏡をはじめとする多数の副葬品が出土したことを契機として設立されました。これらの考古学的成果を広く公開し、学術的・文化的価値を伝えることを目的としています。 館内の見どころ 1階:石室の原寸大模型と出土品レプリカ 展示館の1階には、黒塚古墳の竪穴式石室を原寸大(長さ8.3m)で忠実に再...»
西山塚古墳は、奈良県天理市萱生町(かようちょう)に所在する古墳です。形状は前方後円墳であり、大和古墳群のうち、萱生支群に属する古墳の一つとして知られています。現在のところ、国指定史跡などの文化財指定は受けていませんが、その歴史的価値は非常に高く、多くの研究者や歴史愛好家の関心を集めています。 6世紀に築かれた貴重な遺跡 この古墳の築造時期は、古墳時代後期前半、すなわち6世紀前半と推定されています。第26代継体天皇の皇后である手白香皇女(たしらかのひめみこ)の真の陵墓ではないかという説も有力であり、学術的にも注目されています。 古民家を活用した宿泊施設「cofunia」の誕生 2024年...»
赤土山古墳(あかつちやまこふん/あかどやまこふん/あかんどやまこふん)は、奈良県天理市櫟本町に位置する前方後円墳であり、古墳時代の初期から中期にかけて築かれたと推定されています。東大寺山古墳群を構成する主要な古墳の一つであり、1992年には国の史跡として指定され、今日では史跡公園として整備・公開されています。 赤土山古墳の地理的位置と背景 この古墳は、奈良盆地の東縁にあたる東大寺山丘陵の南端に築かれました。周囲には和邇氏に関連する古墳群が点在しており、当地が古代豪族・和邇氏(わにし)の本拠地であったとする説が有力視されています。特に、同古墳群に属する東大寺山古墳(北高塚古墳)や和爾下神社古...»
西山古墳は、奈良県天理市杣之内町に所在する、古墳時代前期(4世紀頃)に築造された古墳です。天理高等学校の敷地内に位置し、別名を「ナガリヤマ(勾山)」とも呼ばれています。1927年(昭和2年)には、国の史跡として指定されました。 本記事では、西山古墳の歴史的背景や構造、出土品、現地の見どころなどについて詳しくご紹介し、古代史に触れる旅の魅力をご案内いたします。 古墳の築造と歴史背景 古墳時代初期に築かれた巨大古墳 西山古墳は、杣之内古墳群に属し、その中でも最も早い時期に築かれたとされる古墳です。古墳時代の前期、4世紀の築造と推定されており、天理市周辺における政治的・文化的中心地としての役...»
行燈山古墳(または行灯山古墳)は、奈良県天理市柳本町に所在する、古墳時代前期に築造されたとされる前方後円墳です。この古墳は、周辺に点在する柳本古墳群の一部を構成しており、その中でも特に大きな規模を誇ることで知られています。 宮内庁による治定 現在、宮内庁によって第10代崇神天皇の陵墓である「山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)」に治定されており、陵墓参考地として管理されています。実際の被葬者は明確ではないものの、古くから崇神天皇に比定されてきた歴史を持ちます。 古墳の特徴と構造 築造時期と墳形 築造は4世紀前半(古墳時代前期)と推定されており、墳形は前方後円形...»
渋谷向山古墳は、奈良県天理市渋谷町に所在する前方後円墳で、柳本古墳群を構成する主要な古墳のひとつです。古墳時代前期の中でも特に巨大な規模を誇り、その墳丘長は約300メートルに達します。現在は宮内庁によって第12代景行天皇の陵、「山辺道上陵(やまのべのみちのえのみささぎ)」として治定され、管理されています。 築造時期と立地の特徴 この古墳は、奈良盆地の東端、龍王山から西にのびる尾根筋の傾斜変換点に築かれた巨大な前方後円墳です。築造年代は当初4世紀後半とされていましたが、近年の研究では4世紀中頃とする見解も増えています。柳本古墳群内では最大規模を誇り、全国でも第8位の大きさを誇る貴重な遺構です...»
大和神社は、奈良県天理市新泉町星山に鎮座する由緒ある神社です。古来より格式の高い神社として知られ、式内社(名神大社)・二十二社(中七社)に数えられ、旧社格では官幣大社に列せられていました。現在では、神社本庁の別表神社に指定され、多くの崇敬を集めています。 神社の祭神 主祭神とその御神徳 大和神社には、以下の三柱の神々が祀られています。 中殿:日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ) 左殿:八千戈大神(やちほこのおおかみ) 右殿:御年大神(みとしのおおかみ) 主祭神である日本大国魂大神は、土地の神として日本の大地そのものを象徴し、国家安泰と五穀豊穣を司る重要な神とされ...»
夜都岐神社は、奈良県天理市乙木(おとぎ)に鎮座する神社で、古来よりこの地域に住まう人々から信仰を集めてきました。その名は「夜都伎神社」や「夜都岐神社」とも表記され、「やつき」「やとぎ」といった読み方も伝わっており、地域によって異なる呼称が見られます。 旧社格は「村社」とされ、歴史的にも格式を有する神社として知られています。「大和国山辺郡 夜都伎神社」として『延喜式神名帳』にも名が記されており、いわゆる「式内社」の一つと考えられています。ただし、同様の論社として、天理市竹之内町の「十二神社」および田井庄町の「八剣神社」も挙げられており、学術的な議論も行われています。 鎮座地と地名の由来 乙...»
三郷町は、奈良県西部に位置する生駒郡の町で、風光明媚な自然と歴史的遺産に恵まれています。金剛生駒紀泉国定公園に抱かれた豊かな自然環境と、大阪市内から短時間で訪れることができる利便性をあわせ持つ町として、多くの観光客やハイカーに親しまれています。 特に町の象徴ともいえる信貴山は、古くから信仰と自然が融合した霊山として知られ、四季折々に異なる表情を見せてくれます。また、竜田川流域に広がる歴史的景観は「竜田の紅葉」として古来より和歌に詠まれ、日本人の心に深く刻まれてきました。 地理と自然環境 ― 信貴山と大和川に育まれた風景 三郷町は、信貴山の東南麓に広がり、町の南側には大和川が流れています。...»
内山永久寺は、かつて奈良県天理市杣之内町に存在した名高い仏教寺院であり、興福寺大乗院との関係が深いことで知られています。その規模の大きさ、伽藍の壮麗さから、大和国においても指折りの大寺院の一つとして栄えていました。しかし、明治時代初期に発生した廃仏毀釈の嵐により、その輝かしい歴史に終止符が打たれることとなります。 現在、寺院跡は石上神宮の南方、山の辺の道沿いに位置し、かつての浄土式庭園の面影を残す池が往時の姿を物語っています。また、記念碑や供養塔が建立され、訪れる人々に歴史の重みを静かに伝えています。 内山永久寺の創建と興隆 鳥羽天皇の勅願による創建 内山永久寺は、三方を山に囲まれた静...»
龍王山城は、奈良県天理市田町周辺に位置していた日本の山城で、かつて大和国を代表する戦略的要地として重要な役割を果たしました。大和平野と大和高原の境界にあたる標高の高い龍王山に築かれ、その雄大な構造と歴史的意義から、現在も多くの歴史ファンや登山者に親しまれています。 龍王山城の立地と構造 比高と規模 龍王山城は、藤井集落からの比高約130メートル、大和平野からの比高は約485メートルとされ、これは大和国の名城・高取城をも凌駕する規模でした。城域も非常に広大であり、北城と南城の2つの主要部分に分かれて構成されています。北城が主城、南城が詰城と考えられており、それぞれ築かれた時期にも差があると...»
福住中定城は、奈良県天理市福住町に位置していた中世日本の城で、平山城あるいは丘城に分類される遺構です。現在では山林の中に佇んでいますが、その縄張りや土塁などが良好な状態で残されており、戦国期の城郭構造を今に伝える貴重な史跡とされています。 歴史的背景 初出と発展 福住城の名は、永享6年(1434年)の『興福寺賢聖院経巻奥書』において、筒井城と並んで記されているのが最も古い記録とされています。以後、応仁の乱(1467年~)の際には、福住氏や筒井氏の軍勢がこの地に駐屯し、戦略的拠点としての重要性を示しました。 館から城へ 文明7年(1475年)には「福住館」と、文明13年(1481年)に...»
大和郡山市は、奈良県北部、奈良盆地のほぼ中央に位置する歴史と文化に彩られた都市です。 古代から中世、近世、近代に至るまで連綿と人々の営みが受け継がれてきた土地であり、現在も城下町の面影を色濃く残しています。 特に全国的に知られているのが金魚の名産地としての顔で、市内各所には養殖池が点在し、夏には「全国金魚すくい選手権大会」が開催されます。 歴史が息づく城下町・大和郡山 大和郡山市の都市としての基盤が形づくられたのは、戦国時代末期に筒井順慶が郡山城を築いたことに始まります。 その後、豊臣秀長が入城し、大和国の中心都市として大きく発展しました。 江戸時代には柳澤氏が藩主を務め、城下町として...»
源九郎稲荷神社は、奈良県大和郡山市洞泉寺町に鎮座する、歴史と伝説に彩られた稲荷神社です。城下町・大和郡山の面影が色濃く残る町並みの中にあり、古くから地域の人々に親しまれてきました。地元では親しみを込めて「源九郎さん」と呼ばれ、観光客のみならず、近隣住民にとっても身近な信仰の場となっています。 この神社は、源九郎狐(げんくろうぎつね)にまつわる数々の伝説で知られ、童謡『やまとのやまとの源九郎さん』にも歌われています。また、歌舞伎の名作『義経千本桜』とも深いゆかりを持ち、文学や芸能の世界にも大きな影響を与えてきました。 城下町に鎮座する由緒ある稲荷神社 源九郎稲荷神社は、洞泉寺の脇に位置し、...»
筒井城は、奈良県大和郡山市筒井町にかつて存在した中世城郭です。室町時代から戦国時代にかけて、興福寺衆徒として勢力を誇った筒井氏の本拠地として、大和国の政治史において重要な役割を果たしました。 城の立地と構造 広大な平地城郭 筒井城は近鉄橿原線・筒井駅の北東一帯、南北約400m・東西約500mの範囲に築かれた平地城です。中世の城としては規模が大きく、城郭は外堀と内堀で二重に囲まれ、堀跡は現在も畑地や宅地の間に点在しています。 堀と曲輪の配置 外堀内側の高まりは「シロ畠」と呼ばれ、当時の本丸・内曲輪と推定される区域です。その周囲には土塁が築かれ、敵の侵入を防ぎました。堀と土塁に囲まれた城...»
小泉城は、奈良県大和郡山市小泉町にあった中世以来の平城です。別名を片桐城・小泉陣屋ともいい、江戸時代には小泉藩の藩庁が置かれました。興福寺衆徒小泉氏の居館を起源とし、のちに片桐氏が城主として明治維新まで治めました。 城の立地と遺構 台地先端の天然要害 小泉城は、現在の大和小泉駅の西北約600m、富雄川と湿田に挟まれた台地先端上に築かれていました。この地形により東側は天然の堀となり、城の防御性を高めています。 内外二重の堀と池 主郭は西側台地上にあり、内堀で囲まれた150m四方の区画でした。延宝元年(1673年)完成の記録が残る内堀の外側には、外堀として「薙刀池」「お庭池」が配され、堀...»
小泉大塚古墳は、奈良県大和郡山市小泉町に位置する前方後円墳で、奈良盆地北西部・矢田丘陵南東端の尾根上に築かれています。1999年(平成11年)3月19日に奈良県指定史跡となり、現在も歴史的価値の高い古墳として保存されています。 立地と規模 尾根の隆起部を活用して築かれた墳丘は、全長約88メートル、後円部直径約50メートル・高さ約7メートル、前方部幅約40メートル・高さ約2メートルとされます。ただし、造成に伴う裾部の削平により、正確な数値は若干の誤差を含む可能性があります。 築造時期と意義 築造は古墳時代前期前半の3世紀末から4世紀初頭頃と推定され、奈良盆地北西部では数少ない竪穴式石室を...»
慈光院は、奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院です。山号を円通山と称し、本尊に釈迦如来を祀ります。江戸初期、小泉藩主で茶人として名高い片桐石見守貞昌(石州)が父・貞隆の菩提を弔うために創建しました。 歴史 創建と開山 寛文3年(1663年)、石州流茶道の祖・片桐貞昌は父・貞隆の法名「慈光院殿雪庭宗立居士」から寺名を採り、大徳寺第185世・玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎えて慈光院を建立しました。 主要建造物 書院(重要文化財) 入母屋造茅葺屋根に桟瓦の庇を巡らせた農家風の建物で、十三畳の上の間・中の間・下の間から成ります。上の間には床・付書院を備えつつ長押を省いた簡素...»
奈良県立民俗博物館は、奈良県大和郡山市矢田町の広大な大和民俗公園(約26.6ha)内に位置する博物館です。大正から昭和初期の生活用具・農具、国の重要有形民俗文化財「吉野林業用具と林産加工用具」などを通じて、大和の人々が伝統と工夫で紡いできた生活文化を紹介しています。 施設構成 博物館本館 鉄筋コンクリート造・地下1階地上2階の本館では、 常設展示:奈良盆地の稲作/大和高原の茶業/吉野山地の林業を代表に、大和の三大生業を体感できる構成。 体験コーナー:大正~昭和期の家屋内を再現し、道具に触れて昔の暮らしを実感。 古民家エリア 県内各地から移築復原された江戸~明治期の民家・土...»
大和郡山市に佇む由緒ある図書館 柳沢文庫は、奈良県大和郡山市に位置し、かつてこの地を治めていた郡山藩主・柳沢氏にまつわる歴史的資料を中心に収蔵・公開している図書館です。昭和35年(1960年)の開設以来、地元の歴史や文化の継承と発信を目的として、多くの貴重な文献や古文書を保管し、一般に開かれた施設として親しまれています。 郡山城の歴史とともに築かれた文庫 郷土愛に支えられて開設 柳沢文庫は、昭和35年秋に発足した「郡山城史跡・柳沢文庫保存会」によって創設されました。この保存会は、最後の郡山藩主・柳沢保申(やすのぶ)の長男である柳沢保承(やすつぐ)を中心とした有志により結成され、郷土教育...»
永慶寺は、奈良県大和郡山市永慶寺町に位置する黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で、山号は龍華山(りゅうげさん)と称されます。本尊には釈迦三尊が祀られ、静かな環境の中で訪れる人々の心を癒しています。 寺院の起源と移転の歴史 山梨県甲府市における創建 永慶寺の起源は現在の山梨県甲府市岩窪町にあります。この地域は、甲府盆地の北縁にあたり、武田氏の居館跡や武田信玄の墓所、甲府五山のひとつである円光院など、多くの歴史的名所が集まる地でもあります。 この寺は、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の側近であった柳沢吉保により創建されたとされ、黄檗宗の高僧である悦峯道章(えっぽうどうしょう)が迎えられて建立されま...»
松尾寺は、奈良県大和郡山市に位置する真言宗醍醐派の別格本山であり、「日本最古の厄除け寺」として広く知られています。山号は「松尾山」または「補陀洛山(ふだらくさん)」と称され、本尊には千手千眼観世音菩薩が祀られています。創建は養老2年(718年)、開基は天武天皇の皇子・舎人親王(とねりしんのう)と伝えられています。 厄除けと日本書紀編纂への祈願 松尾寺は、舎人親王が自身の42歳の厄年にあたる年に、厄除けとともに日本書紀の完成を祈願して建立されたと伝えられています。この由緒は、江戸時代に成立した『厄攘観音来由記』や『松尾寺縁起』に記されています。現在も初午の縁日(2月・3月)には多くの参詣者が...»
慈光院は、奈良県大和郡山市小泉町に所在する臨済宗大徳寺派の禅寺です。山号は「円通山」、本尊には釈迦如来を祀り、江戸時代の茶人として知られる片桐石見守貞昌(かたぎりいわみのかみさだまさ)—通称「片桐石州(せきしゅう)」によって創建されました。彼は石州流茶道の開祖でもあり、茶道と禅が融合する場として慈光院を築きました。 由緒ある開創と寺名の由来 慈光院は、寛文3年(1663年)、片桐石州が父・片桐貞隆の菩提を弔うために建立した寺です。開山には、臨済宗大徳寺185世・玉舟和尚(ぎょくしゅうおしょう、大徹明應禅師)を迎えました。寺の名前は、父の法名「慈光院殿雪庭宗立居士」に因んで名づけられました。...»
額安寺は、奈良県大和郡山市額田部寺町に所在する真言律宗の寺院です。山号は熊凝山(くまごりさん)で、本尊には十一面観音をお祀りしています。名称については「がくあんじ」ではなく、正式には「かくあんじ」と読みます。 所在地と歴史的背景 当寺は、大和郡山市の南端に位置し、大和川と佐保川の合流地点近くにあります。古くは「額田寺(ぬかだでら)」とも呼ばれ、大和国平群郡額田郷を拠点としていた有力豪族・額田部氏の氏寺でした。 熊凝精舎と聖徳太子の関係 『大安寺伽藍縁起並流記資財帳』(天平19年・747年)によれば、南都七大寺のひとつである大安寺の前身は、推古天皇29年(621年)に聖徳太子が額田部の地...»
奈良県大和郡山市矢田町に位置する「矢田寺」は、正式には「金剛山寺(こんごうせんじ)」と称し、高野山真言宗に属する歴史ある寺院です。山号は矢田山。本尊は地蔵菩薩で、その優しいお姿は訪れる人々に安らぎを与えています。特に6月には約10,000株・60種以上のあじさいが境内を彩り、「あじさい寺」として全国に知られています。 京都の矢田寺との違い 京都市中京区にも「金剛山矢田寺」という同名の寺院がありますが、そちらは奈良の矢田寺から派生した別院として、奈良時代初期に開かれたとされています。現在は宗派が異なるため、混同にご注意ください。 矢田寺の歴史 壬申の乱と創建 寺伝によると、壬申の乱の戦...»