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西殿塚古墳

(にしとのづか こふん)

天理市の歴史を今に伝える古墳

西殿塚古墳は、奈良県天理市中山町に位置する前方後円墳であり、大和古墳群(中山支群)を構成する重要な古墳のひとつです。現在は宮内庁によって第26代継体天皇の皇后である手白香皇女(たしらかのひめみこ)の陵「衾田陵(ふすまだのみささぎ)」として治定されており、皇后陵拝所が設けられています。

古墳の規模と構造

西殿塚古墳は、奈良盆地の東縁にある丘陵地に築かれた壮大な前方後円墳で、東側には東殿塚古墳が隣接しており、この2基は大和古墳群の中でも特に高所に位置し、奈良盆地を一望できる景勝地でもあります。

墳丘の詳細

墳丘の全長は約230メートルに達し、大和古墳群の中では最大規模とされています。構造は以下のようになっています。

墳丘の形状は地形の傾斜に直角に築造されたため、左右非対称になっており、また墳丘の西側にはこの古墳特有の「エプロン」と呼ばれる幅広の平坦面が確認されています。

出土遺物と埴輪

墳丘表面には葺石が見られ、出土品としては、特殊器台形土器・埴輪、特殊壺形埴輪、有段口縁の円筒埴輪など、古墳時代初期の特徴的な遺物が発見されています。これらは考古学的に非常に重要な資料であり、奈良県内の博物館などで展示されることもあります。

築造時期と歴史的意義

この古墳の築造は、古墳時代前期前半の3世紀後半頃と推定されており、桜井市の箸墓古墳に後続する時期にあたります。そのため、ヤマト王権の大王墓としての性格を持つ可能性が高く、日本の古代国家形成期を考える上でも重要な遺跡とされています。

宮内庁による管理と調査の経緯

陵墓としての治定

西殿塚古墳は、1876年(明治9年)に手白香皇女の陵として治定され、1889年(明治22年)に修営されました。その後も宮内庁による管理のもと、墳丘の外表や周辺部に対する調査が段階的に行われています。

主な調査

被葬者と論争

西殿塚古墳の真の被葬者については諸説あり、宮内庁では手白香皇女としていますが、築造年代と手白香皇女の活動時期(6世紀頃)が合致しないことから、この治定には疑問も残ります。

現在では、手白香皇女の陵は同じ天理市内の西山塚古墳であるとする説が有力であり、西殿塚古墳はその前の時代、すなわち3世紀後半の大王墓として、卑弥呼の後継者である「台与(壹與/臺與)」崇神天皇などが被葬者である可能性が指摘されています。

観光情報と訪問のポイント

西殿塚古墳は現在、宮内庁の管理下にあり、内部への立ち入りはできませんが、拝所からその雄大な墳丘を望むことができます。周囲は静かで自然豊かであり、歴史と自然を感じる散策に適しています。隣接する東殿塚古墳と合わせて訪れることで、大和古墳群の魅力を一層深く体感できます。

アクセス

天理市中山町に位置し、JR・近鉄天理駅からバスやタクシーでのアクセスが便利です。周辺には駐車場が限られているため、公共交通機関の利用がおすすめです。

周辺の見どころ

まとめ

西殿塚古墳は、日本の古代史を語る上で欠かせない貴重な史跡の一つであり、壮大な墳丘と謎に包まれた被葬者の存在は、訪れる人々に深い感慨を与えてくれます。奈良を訪れる際には、ぜひこの歴史の深みを感じるスポットへ足を運んでみてください。

Information

名称
西殿塚古墳
(にしとのづか こふん)

天理・法隆寺

奈良県