小泉大塚古墳は、奈良県大和郡山市小泉町に位置する前方後円墳で、奈良盆地北西部・矢田丘陵南東端の尾根上に築かれています。1999年(平成11年)3月19日に奈良県指定史跡となり、現在も歴史的価値の高い古墳として保存されています。
尾根の隆起部を活用して築かれた墳丘は、全長約88メートル、後円部直径約50メートル・高さ約7メートル、前方部幅約40メートル・高さ約2メートルとされます。ただし、造成に伴う裾部の削平により、正確な数値は若干の誤差を含む可能性があります。
築造は古墳時代前期前半の3世紀末から4世紀初頭頃と推定され、奈良盆地北西部では数少ない竪穴式石室を主体とする前期古墳です。また、多数の銅鏡を副葬する例としても注目され、当時の有力首長の墓制を知る貴重な史料とされています。
古墳は江戸時代の『大和名所図会』にも「迹見赤檮の墓」として記されるなど早くから知られており、1962年・1996年の二度の発掘調査を経た後、1999年に奈良県指定史跡となりました。
前方部は西向きに張り出す形状で、かつての葺石や埴輪は確認されていないものの、造成時に削られた裾部には団地の宅地造成跡が残ります。
後円部は二段築成で、後円部中央に竪穴式石室が設けられています。外表や裾部には葺石・埴輪は認められておらず、シンプルな墳形を特徴とします。
墳丘主軸と直交する南北方向に配置された竪穴式石室は、長さ約5.5メートル・幅0.7~1.1メートル・高さ1.3~1.5メートルを測ります。大阪府芝山産の玄武岩と矢田丘陵産の片麻状花崗岩を組み合わせた合掌形構造が特徴です。
石室内の床面にはU字形の粘土床が残り、割竹形木棺の設置を示唆します。内側に強く持ち送られた厚い石材配置は、同様の構造が天理市の天神山古墳や桜井市のメスリ山古墳にも見られる技術です。
調査で検出された銅鏡は7面以上に上り、内行花文鏡・獣帯鏡・獣首鏡・画文帯神獣鏡など、多様な文様をもつ鏡が大量に副葬されていた点で注目されます。
鉄剣1、鉄斧1、刀子2、鑿(のみ)1、鉇(やりがんな)1などの鉄製品や、壺形土器片も検出され、当時の埋葬儀礼や武具・農工具の副葬習俗を示しています。
江戸時代の図会記載に続き、1962年に奈良県教育委員会が県営団地造成に伴う発掘調査を実施(1966年報告書刊行)、1996年には奈良県立橿原考古学研究所が後円部再調査を行い(1997年報告書刊行)、古墳の全貌と副葬品が明らかになりました。
県指定史跡となった後も周辺開発が続いていますが、墳丘周辺には立入禁止区域が設けられ、一部では説明板によるガイダンスが整備されています。
六道山古墳は、小泉大塚古墳の東方に隣接する大型前方後円墳で、形状は帆立貝形に近い前方後円墳です。1991年に墳丘裾部の緊急調査が行われ、規模や構造の一端が明らかになりました。
墳丘長約100メートル、後円部直径75メートル・高さ14メートル、前方部幅50メートル・高さ6メートルを測ります。墳丘周囲には約50メートル幅の馬蹄形テラスが巡り、外表で埴輪が確認されています。
前方部を北西に向ける帆立貝形に近い前方後円墳で、古墳時代中期後半から後期初頭(5世紀末~6世紀初頭)に築かれたと推定され、奈良盆地北西部では最大級の古墳です。
墳丘外表からは円筒埴輪や形象埴輪が検出されており、墳頂部やくびれ部に配置された可能性があります。また周囲を囲む馬蹄形テラスは、後世の墾田造成や祭祀空間として重要な役割を果たしたと考えられています。
小泉大塚古墳と並び地域の首長墳として重視され、前期とは一線を画す後期古墳の性格をよく示す遺跡です。それぞれの墳形や副葬品の違いから、首長層の権力構造や交易・技術交流を読み解く手がかりとなります。
埋葬施設は未調査のまま残り、副葬品も細部が明らかではありません。将来的な保存管理と発掘調査によって、古墳時代後期の首長墓制をさらに考究する必要があります。
出土品は橿原市の奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に収蔵・展示され、鏡・武具・土器などを通じて古墳時代の文化を身近に学べます。
古墳域は立入禁止区画があります。必ず遊歩道や説明板に従い、墳丘への立ち入りや遺跡の破損を避けてください。
小泉大塚古墳と六道山古墳は、古墳時代前期から後期にかけての首長墓制を学ぶうえで欠かせない遺跡です。墳丘や埋葬施設、出土品から当時の技術・社会構造を紐解く魅力にあふれています。見学の際は遺跡保護に配慮しつつ、地域の歴史ロマンを存分に感じ取っていただければ幸いです。