赤土山古墳(あかつちやまこふん/あかどやまこふん/あかんどやまこふん)は、奈良県天理市櫟本町に位置する前方後円墳であり、古墳時代の初期から中期にかけて築かれたと推定されています。東大寺山古墳群を構成する主要な古墳の一つであり、1992年には国の史跡として指定され、今日では史跡公園として整備・公開されています。
この古墳は、奈良盆地の東縁にあたる東大寺山丘陵の南端に築かれました。周囲には和邇氏に関連する古墳群が点在しており、当地が古代豪族・和邇氏(わにし)の本拠地であったとする説が有力視されています。特に、同古墳群に属する東大寺山古墳(北高塚古墳)や和爾下神社古墳などの大型墳墓と共に、地域の権力構造をうかがわせる重要な遺跡となっています。
赤土山古墳は、墳丘長106.5メートル以上の大型前方後円墳で、前方部を西に向けています。ただし、後円部東方の先端に突出部(造出と見られる)があるため、全体の形状は「双方中円形」と呼ばれる特異な形式をとります。
墳丘の表面には葺石が施され、円筒埴輪(朝顔形を含む)や形象埴輪(蓋形・短甲形・盾形)など、多様な埴輪が列をなして配置されていたことが発掘調査で判明しています。これらは当時の葬送儀礼や被葬者の権威を象徴する重要な要素と考えられています。
特に注目されるのが、後円部東方突出部の南側に見られる「家形埴輪祭祀遺構」です。ここでは11基の家形埴輪と1基の囲形埴輪が出土しており、祭祀のための特別な空間が設けられていたことが示唆されます。これらの埴輪は、当時の豪族の居館を模した可能性もあり、宗教的・社会的意味を併せ持つと考えられています。
赤土山古墳では、これまでに計9次の発掘調査が行われています。調査の主な経緯は以下の通りです。
築造直後から地すべりが繰り返されていたことが調査によって確認されており、それにより墳丘の一部は崩壊、形状の誤認も発生しました。特に当初「前方後方墳」と認識されていたのは、この滑落崖の影響によるもので、1999年の調査で「前方後円墳」に修正されました。
後円部南側の堆積土からは多くの貴重な副葬品が出土しています。主なものは以下の通りです。
これらの遺物は、被葬者の地位の高さを示すとともに、当時の工芸技術や交易網についても重要な情報を提供します。
2006年度から始まった史跡整備事業を経て、2010年に「史跡赤土山古墳」として一般に公開されるようになりました。現在は園内に遊歩道や説明板が整備され、歴史を体感できる場所として地元住民や観光客に親しまれています。
赤土山古墳は1992年12月15日に国の史跡に指定されました。これは、古墳時代の墳墓としての学術的価値と、地域の歴史文化における意義が高く評価された結果です。
赤土山古墳は、単なる古代の墓所にとどまらず、古代豪族の権力や文化、そして当時の祭祀や埋葬の様子を今に伝える貴重な遺跡です。現地では、古代の雰囲気を肌で感じながら、学びと癒しを得られる貴重な体験ができるでしょう。天理市を訪れる際には、ぜひこの歴史的遺構を訪れてみてはいかがでしょうか。