法起寺は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の仏教寺院で、その正式な山号は「岡本山」です。本尊は十一面観音であり、かつては「岡本寺」や「池後寺(いけじりでら)」とも呼ばれていました。聖徳太子が建立した七大寺の一つに数えられることもありますが、実際の完成は太子が没してから数十年後のこととされています。現在は「法隆寺地域の仏教建造物」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録され、古都奈良の仏教文化を象徴する重要な史跡となっています。
法起寺はかつて「ほっきじ」とも読まれていましたが、世界遺産登録時に法隆寺と名称の統一を図るため、法隆寺の管長であった高田良信師により正式に「ほうきじ」と定められました。これは「法隆寺」との読み方を一致させるための決定であり、現在もこの読みが公式とされています。しかし、長年の親しまれた読みから、今でも「ほっきじ」と呼ぶ人も少なくありません。
法起寺は、聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地に建立されたと伝えられています。太子の遺言により、子息の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が岡本宮を寺に改めたことが始まりとされています。その後、舒明天皇10年(638年)に福亮僧正が弥勒像と金堂を造立し、慶雲3年(706年)には恵施僧正が三重塔を建立しました。これにより、現在の法起寺が形成されました。
『法隆寺縁起』(747年)には、法起寺が「聖徳太子建立七寺」の一つとして「池後尼寺」と記されています。この池後尼寺が法起寺と同一であるとする最古の記録は宝亀2年(771年)の『七代記』であり、ここには「法起寺、時の人喚(よ)びて池後寺とす」と記されています。また、9世紀成立の『日本霊異記』には「大和国平群郡鵤村岡本尼寺」として記され、この尼寺が聖徳太子の宮を寺に改めたものと伝えられています。これにより、岡本寺が9世紀にはすでに広く知られた存在であったことがわかります。
法起寺の創建当時の伽藍は、金堂と塔が左右(東西)に並ぶ形式で、これは法隆寺の西院伽藍配置に類似していますが、逆に金堂が西、塔が東に建てられている点で異なります。この形式は「法起寺式伽藍配置」と呼ばれ、独自の建築様式を示しています。1960年代に実施された発掘調査により、金堂跡や講堂跡が確認され、さらに中門の瓦積基壇も発見されました。
また、同じ発掘調査により、旧伽藍建立以前の掘立柱建物や石敷の雨落溝が確認され、これが岡本宮であった可能性が示されています。これらの遺構は、現在の伽藍が南北の軸線に沿って建てられているのに対し、約20度西に傾いた軸線に沿っており、法隆寺の前身である若草伽藍跡と共通する特徴を持っています。
法起寺の三重塔は国宝に指定されており、その建立は慶雲3年(706年)頃と考えられています。高さは約24メートルで、日本最古の三重塔として知られています。江戸時代の修理により一部構造が変更されていましたが、1970年から1975年にかけて行われた解体修理により創建当時の姿に復元されました。この塔は三重構造であり、初層・二層の柱間が3間、三層の柱間が2間という特殊な形式を持ち、法隆寺五重塔との類似性が指摘されています。
塔の心礎(中心の柱)は、基壇の版築の途中で据えられており、これは法隆寺五重塔や中宮寺塔跡の心礎が地中深く埋め込まれているのに対し、やや新しい形式とされています。
法起寺には以下の重要文化財があります。
これらの文化財は、奈良時代や平安時代に遡るもので、仏教美術の貴重な遺産として大切に保管されています。
法起寺へのアクセスは以下の通りです。
法起寺は、聖徳太子の歴史と仏教文化が息づく重要な寺院であり、奈良の古代史に触れる絶好の場所です。三重塔や文化財など、多くの見どころがあり、訪れる価値のある場所です。