筒井城は、奈良県大和郡山市筒井町にかつて存在した中世城郭です。室町時代から戦国時代にかけて、興福寺衆徒として勢力を誇った筒井氏の本拠地として、大和国の政治史において重要な役割を果たしました。
筒井城は近鉄橿原線・筒井駅の北東一帯、南北約400m・東西約500mの範囲に築かれた平地城です。中世の城としては規模が大きく、城郭は外堀と内堀で二重に囲まれ、堀跡は現在も畑地や宅地の間に点在しています。
外堀内側の高まりは「シロ畠」と呼ばれ、当時の本丸・内曲輪と推定される区域です。その周囲には土塁が築かれ、敵の侵入を防ぎました。堀と土塁に囲まれた城内には筒井氏一族や家臣団の屋敷が並び、市場を含む生活機能も備えていたといわれます。
筒井集落の道は折れ曲がり直進を阻む構造で、城壁や堀を避けるかたちで形成されています。この複雑な地割は、築城当時の城郭構造を今に伝える貴重な痕跡です。
築城時期は不詳ですが、文献上の初見は永享元年(1429年)『満済准后日記』の「筒井館」です。その後、戦乱期を生き抜き、居館から堀と土塁を持つ本格的な城郭へと発展しました。
応仁の乱期、大和国人衆が畠山氏の家督争いに巻き込まれ、康正元年(1455年)7月2日には畠山義就軍が筒井城を包囲。しかし城は持ちこたえ、同年8月には細川勝元の仲介で和睦が成立しました。
第二次(1466年)、第三次(1476–77年)、第四次(1483年)、第五次(1516–17年)…と、約70年間にわたり大小五度の攻城戦が記録されています。筒井氏当主の順永・順尊・順盛らはたびたび城を奪回し、その都度修復と強化を重ねました。
永禄8年(1565年)松永久秀軍に炎上させられ、翌1566年に一時奪回したものの、天正8年(1580年)織田信長の「大和一国破城令」により正式に廃城となり、城郭機能は郡山城へ移されました。
外堀は幅約12m・深さ2m以上を測り、石垣を持たない中世平城としては最大級です。内堀に囲まれた「シロ畠」は一段高い畑地となり、中心部の詰の曲輪であったことを示します。
発掘調査では、堀斜面から1559年の鉄砲玉、7世紀の大規模建物跡、4世紀の溝など多様な遺構が検出され、古代から中世までの長い歴史的層位を示しています。
城内には「北市場」「南市場」の地名が残り、吉野街道を城域に取り込んでいました。市場を保護する一方で、有事には攻撃に弱い部分ともなり、第三次攻城戦では市場域からの放火が伝えられます。
東北隅の堀が五折れに屈曲する構造は、防御よりも風水(鬼門除け)を意図した「鬼門落し」と考えられます。京都御所の例にならい、北東隅を欠くことで邪気を避ける古来の風習が城郭にも応用されました。
1979年以降100回以上の調査が行われ、城域の遺構・遺物が次々と確認されています。これにより各時代の改修状況や城下町の様相が明らかになりつつあります。
令和4年(2022年)11月10日、筒井城跡は国の史跡に指定。今後は保存・活用のためのガイダンス整備や案内表示の充実が期待されます。
筒井城跡は、室町・戦国期の大和政争を物語る貴重な史跡です。堀跡や道割、神社境内に残る土塁などを辿ることで、当時の城郭と城下町の息づかいを感じ取ることができます。歴史好きはもちろん、のどかな田園風景と古のロマンを同時に楽しめる散策地として、ぜひ一度訪れてみてください。