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弘福寺(川原寺跡)

(ぐふくじ かわはらでら あと)

飛鳥の大寺「川原寺」の法燈を今に伝える古刹

弘福寺は、奈良県高市郡明日香村川原に位置する、真言宗豊山派の寺院です。山号を仏陀山と称し、本尊には十一面観音菩薩が安置されています。本寺は、かつて飛鳥時代に栄華を誇った国家寺院川原寺の法燈を継ぐ寺として知られ、飛鳥の歴史と信仰を今に伝える貴重な存在です。

飛鳥四大寺の一つ「川原寺」と弘福寺の関係

川原寺は、飛鳥寺・薬師寺・大官大寺(後の大安寺)と並び、「飛鳥の四大寺」の一つに数えられた大寺院でした。飛鳥時代の国家仏教を象徴する存在であり、天智天皇が母・斉明天皇の冥福を祈って建立したと伝えられていますが、創建の詳細については未だ多くの謎が残されています。

現在の弘福寺は、川原寺の中金堂跡に建立されており、往時の壮大な伽藍の面影を静かに伝えています。創建当時の川原寺の姿は、飛鳥資料館に展示された模型で知ることができます。

歴史 ― 栄華と衰退、そして再興

川原寺は7世紀半ば、天智天皇9年(670年)頃に建立されたと考えられています。『日本書紀』には直接の記述はありませんが、発掘調査により、その重要性が裏付けられています。9世紀には弘法大師空海が朝廷より川原寺を賜り、以後、真言宗寺院としての歩みを始めました。

しかし、平安時代以降はたびたび火災に見舞われ、延久4年(1070年)には伽藍の一部が焼失、建久2年(1191年)には全山が焼失するという大きな被害を受けました。鎌倉時代に一時再興されるものの、室町時代末期の雷火による焼失以降、寺は廃寺となったと考えられています。

その後、江戸時代中期になって、川原寺の法燈を継ぐ形で弘福寺が建立され、今日に至る信仰の場として再興されました。

発掘調査が明らかにした「川原寺式伽藍配置」

昭和32年(1957年)から昭和34年(1959年)にかけて行われた発掘調査により、川原寺は一塔二金堂式という左右対称の特異な伽藍配置を持っていたことが判明しました。この配置は「川原寺式伽藍配置」と呼ばれ、日本仏教建築史において極めて重要な事例とされています。

境内には、瑪瑙(実際は白大理石)で作られた礎石や、五重塔跡、西金堂跡、廻廊跡などが整備され、往時の壮麗な寺観を想像しながら散策することができます。

塑像・塼仏が語る飛鳥仏教の荘厳

昭和49年(1974年)、川原寺裏山の板蓋神社付近から、千点を超える塑像の断片や塼仏(せんぶつ)が発掘されました。塼仏は煉瓦状の土製品に仏像を浮き彫りにしたもので、三尊仏を表したものが多数見つかっています。

これほど大量の塼仏が一か所から出土した例は日本で他になく、かつては仏堂の壁面を塼仏で埋め尽くし、荘厳していたとする説が有力です。川原寺が、当時いかに格式の高い寺院であったかを物語っています。

境内の見どころ

本堂・大師堂

現在の本堂には本尊十一面観音が祀られ、静かな祈りの空間が広がっています。また、大師堂では弘法大師空海への信仰を感じることができます。

川原寺跡の史跡群

南大門跡・中門跡・廻廊跡・五重塔跡・西金堂跡などが整備され、史跡としての価値を実感しながら巡ることができます。

重要文化財 ― 持国天立像・多聞天立像

本堂に安置されている木造持国天立像・木造多聞天立像は、国の重要文化財に指定されています。弘法大師空海の作と伝えられ、力強くも穏やかな表情は、飛鳥仏教から平安仏教への精神的な流れを感じさせてくれます。

写経体験 ― 飛鳥の時を感じるひととき

弘福寺では、写経道場にて般若心経などの写経体験が行われています。飛鳥の史跡を望みながら筆を運ぶ時間は、明日香の風と悠久の歴史を肌で感じる、心静かな体験となるでしょう。

弘福寺の観光的魅力

弘福寺は、単なる寺院としてだけでなく、飛鳥時代の国家仏教と歴史を体感できる観光地です。川原寺跡と一体となった境内は、古代日本の宗教・政治・文化の中心を静かに物語り、訪れる人に深い感動を与えてくれます。

明日香村を訪れる際には、ぜひ弘福寺に足を運び、飛鳥の大寺が遺した記憶と、今なお続く祈りの時間を感じてみてはいかがでしょうか。

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名称
弘福寺(川原寺跡)
(ぐふくじ かわはらでら あと)

天理・法隆寺

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