島の山古墳は、奈良県磯城郡川西町唐院に所在する前方後円墳で、古代の歴史を今に伝える貴重な文化遺産のひとつです。馬見古墳群北群を構成する古墳の一つとして、国の史跡に指定されており、また出土した品々は国の重要文化財に指定されています。
島の山古墳は、川合大塚山古墳の東方約1キロメートルに位置し、寺川の左岸上のわずかな高台に築造されています。地元では「島根山古墳」とも呼ばれ、周辺にある古墳とあわせて「三宅古墳群」を形成しています。
墳丘の全長は265メートル、最大幅は175メートルに及び、盾形の周濠(しゅうごう)を含むとかなりの規模を誇ります。特に東西のくびれ部には「造り出し」と呼ばれる突起が設けられており、古墳としての格式の高さをうかがわせます。
墳丘表面からは、葺石(ふきいし)や様々な形の埴輪(朝顔形円筒、家形、盾形、靫形)などが検出されており、古墳時代中期の典型的な構造を示しています。また、2005年に行われた発掘調査では、西側のくびれ部から植物製の籠が出土しました。これは古墳の祭祀に用いられたと考えられており、当時の精神文化を知るうえで非常に重要な発見となっています。
島の山古墳の立地は、大和盆地内の主要な河川が合流する地点にあり、古代の交通・物流の要所にあたります。この点は、近隣にある川合大塚山古墳とも共通しており、両古墳の間には密接な関係があったと考えられています。また、両古墳の墳形が似通っていることも、この推測を裏付ける根拠となっています。
後円部の中心には、竪穴式石室が存在することが確認されています。石室の天井石の一部が現在も墳丘の周囲に残されており、その石材には兵庫県産の「竜山石」が用いられていました。過去に盗掘を受けたため、副葬品の多くは失われましたが、一部は現在も海外の博物館に所蔵・展示されているとされます。
1996年の調査では、前方部の頂部から粘土槨(ねんどかく)が検出されました。この墓坑は東西10.5メートル、南北3.4メートルで、その内部には全長8.5メートル、幅1.7~2メートルの粘土槨が存在しました。棺外からは、滑石製の勾玉、臼玉、管玉、琴柱形石製品など約2500点もの遺物が確認されました。
さらに棺の粘土層からは、車輪石80点、鍬形石21点、石釧32点、鉄製小刀5点などが発見され、棺内からは碧玉製の合子(ごうす)3点、銅鏡3面、大型管玉5点、竪櫛11点、首飾りや手玉も出土しました。これらの内容から、被葬者が女性であった可能性が指摘されています。
1998年(平成10年)には、島の山古墳から出土した品々が国の重要文化財に指定されました。これらの貴重な資料は、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館にて保管・展示されています。
これらの出土品の多くは、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で一般公開されており、なかには天理大学附属天理参考館でも展示されている資料もあります。実際に目にすることで、古墳時代の技術や装飾文化の高さを実感することができます。
島の山古墳は、古墳時代の葬送儀礼、祭祀文化、そして当時の交通や政治の中心地であった大和地方のあり方を知るうえで非常に重要な遺跡です。その壮大な規模と豊富な副葬品の存在は、当時の社会的地位の高さを示すものであり、現代においても歴史的価値の高い文化財として保護されています。奈良を訪れる際には、ぜひ島の山古墳にも足を運び、悠久の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。