大和神社は、奈良県天理市新泉町星山に鎮座する由緒ある神社です。古来より格式の高い神社として知られ、式内社(名神大社)・二十二社(中七社)に数えられ、旧社格では官幣大社に列せられていました。現在では、神社本庁の別表神社に指定され、多くの崇敬を集めています。
大和神社には、以下の三柱の神々が祀られています。
主祭神である日本大国魂大神は、土地の神として日本の大地そのものを象徴し、国家安泰と五穀豊穣を司る重要な神とされています。なお、左殿と右殿の祭神については文献により異説があり、『神社要録』では左殿を須沼比神とし、『社家説』『元要記』では三輪大明神(大物主)や天照大神などが挙げられています。
『日本書紀』によると、大和神社の創建は古代にさかのぼります。元々、倭大国魂神は天照大神とともに宮中に祀られていましたが、その神威の強さにより世の中が不安定になったことから、崇神天皇6年に両神を宮中から移して祀ることとなりました。倭大国魂神は皇女・渟名城入姫命が斎主となって外部に祀ることとなりましたが、姫命が病に伏したことから、神託を受けた倭迹迹日百襲姫命が市磯長尾市を祭主に据え、当社が創建されたと伝えられています。
当初の鎮座地は現在の場所ではなく、桜井市穴師付近であったとされます。その後遷座され、朱鳥6年(692年)には持統天皇が奉幣を行い、国家的な祭祀の場となりました。寛平9年(897年)には正一位の神階を受けるなど、朝廷からの厚い崇敬を受けています。
平安京への遷都後、社勢は次第に衰え、天正11年(1583年)の火災で神領関連の書類をすべて焼失。社領も失われました。しかし、明治4年(1871年)には官幣大社に列格し、新たに社殿が再建されました。昭和23年(1948年)には神社本庁の別表神社に加えられ、現在に至ります。
大和神社の境内には、以下のような社殿や摂社が整然と配置されています。
境内には、戦艦大和ゆかりの碑や旧土佐勤王党員・古沢滋による「日清戦役戦捷紀念碑」、さらには忠魂碑など、歴史的に意義のある記念物が数多く残されています。これらの碑文は、日本の近代史や郷土の記憶を今に伝える貴重な資料です。
境内には全長70メートルの前方後円墳である星塚古墳があり、古代の歴史を肌で感じることができます。また、山上憶良が遣唐使の航海安全を願って詠んだとされる万葉歌にちなんだ「好去好来碑」も設置されています。
大和神社では、年間を通じて以下のような祭事が執り行われています。
「ちゃんちゃん祭り」は2018年に奈良県指定無形民俗文化財として登録されました。また、「大和郷しで踊り(紅しで踊り)」は1997年に天理市の無形民俗文化財に指定され、地域に伝わる民俗芸能として大切に保存されています。
神社の一の鳥居の脇には、旧土佐勤王党員であり明治期に奈良県知事を務めた古沢滋が撰文した「日清戦役戦捷紀念碑」があります。碑文は全て漢文で記され、1896年に建立されました。この碑は、日清戦争に従軍した地元の壮丁54人の名を刻み、後世に伝える記念碑として重要な意味を持っています。
大和神社は、古代から現代に至るまでの長い歴史を有し、神話と政治、地域文化が重なり合う特別な神社です。歴代の天皇や武士、民衆からも厚い信仰を受け、現在でもその威厳と神聖さは多くの参拝者の心を惹きつけています。奈良を訪れる際は、ぜひこの大和神社を訪れ、古の日本の息吹を感じてみてはいかがでしょうか。