中家住宅は、奈良県生駒郡安堵町に所在する、大和地方を代表する環濠屋敷です。屋敷全体が二重の濠に囲まれた構造をもち、中世武士の居館形式と、江戸時代以降の農家住宅の要素が融合した、きわめて貴重な歴史的建造物として知られています。現在も当時の姿を色濃く残し、建物群・濠・宅地・竹藪を含む約3,500坪の敷地全体が、国の重要文化財に指定されています。
中家住宅は、大和川北岸に残る典型的な環濠屋敷であり、二重の濠をめぐらせた構えは、中世における平城(ひらじろ)形式の館城(やかたじろ)の姿を今に伝えています。防御機能と生活空間を兼ね備えたこの構造は、戦乱の多かった時代における武士の暮らしを具体的に知ることができる重要な手がかりです。
全国的に見ても、これほど良好な状態で中世の屋敷構えを保持する例は少なく、地域にとっても、また日本の歴史文化を考える上でも、極めて重要な文化資源といえます。
中家住宅の起源は中世にさかのぼります。中氏はもともと三重県鈴鹿市周辺を本拠とする土豪で、足利尊氏に従って大和国に入り、この地に居館を構えました。当初は足立氏(安達氏)を名乗り、その後、窪田氏と改め、戦国期には筒井順慶で知られる筒井氏一族の武士として活動しました。
明徳2年(1391年)には窪田中氏と称し、安堵地域を領知する小領主として活躍しましたが、江戸時代になると武士から帰農し、庄屋や大庄屋として地域社会を支える存在となります。この歴史的背景が、武家造りと農家造りを併せ持つ独特の屋敷構成を生み出しました。
中家住宅は、その歴史的・建築的価値が高く評価され、主屋、新座敷、表門、米蔵、新蔵、乾蔵、米蔵及び牛小屋、持仏堂、庫裡の計9棟の建物が国の重要文化財に指定されています。さらに、建物だけでなく、宅地・濠・竹藪を含めた屋敷全体が一体として指定されている点も大きな特徴です。
指定にあたっては、本来の姿に基づいた整備と保存修復が行われ、今日まで大切に守り伝えられてきました。
主屋は屋敷内で最も古い建物で、万治2年(1659年)頃の創建と推定されています。桁行約21メートル、梁間約11メートルという堂々たる規模を誇り、屋根は大和地方特有の大和棟です。急勾配の茅葺と落棟の瓦葺き屋根が美しい調和を見せ、この屋根形式は平成10年に日本民家シリーズの記念切手の図案にも採用されました。
主屋の土間には、民家としては最大級となる11の焚き口を持つ勾玉型の竈が設けられています。これは一家の生活を支える重要な設備であると同時に、当時の食文化や家族構成を知るうえで貴重な資料です。
新座敷は安永2年(1773年)の棟札が残されており、奈良県内でも年代が確実な最古級の桟瓦葺建築と考えられています。格式ある座敷空間は、来客を迎える場として使われ、庄屋としての中氏の社会的地位を象徴しています。
そのほか、米蔵や新蔵、乾蔵、牛小屋などの附属建築が整然と配置され、農業経営と生活の実態を具体的に伝えています。
屋敷内には、個人宅としては珍しい持仏堂と庫裡が残されています。中氏は菩提寺を屋敷内に設け、代々の位牌を大切に祀ってきました。大正時代まで僧侶が庫裡に住み込みで守り続けていたと伝えられており、信仰と生活が密接に結びついていたことがうかがえます。
中家住宅には、約400年前に漬けられたとされる梅干しが現存しており、見学することができます。これは屋敷に伝わる特筆すべき伝承の一つであり、保存技術や食文化の奥深さを物語っています。
また、近隣の天神神社は、もともと筒井氏の氏神であった五梅宮を移して祀った神社と伝えられ、中氏と筒井氏の深い関係を今に伝えています。
中家住宅は、単なる古民家ではなく、中世から近世、近代へと続く大和地方の歴史を体感できる貴重な文化遺産です。環濠に囲まれた屋敷構え、武家と農家の要素を併せ持つ建築、信仰や暮らしの痕跡は、地域の歴史文化を理解するうえで欠かせない存在となっています。
現在もなお、往時の姿をとどめる中家住宅は、安堵町の誇りであり、未来へと守り伝えていくべき重要な観光・文化資源として、多くの人々を魅了し続けています。