仏塚古墳は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺に位置する方墳で、奈良県指定史跡として保存されています。古墳は奈良盆地北西部、法隆寺の北側に広がる小丘陵(寺山)から北へ延びる小尾根の先端に築造されました。その名の通り、中世には仏堂として再利用され、多くの仏像や仏具が発見されたことから「仏塚」の名がつけられています。1976年度(昭和51年度)に奈良県立橿原考古学研究所と斑鳩町教育委員会による発掘調査が行われ、その歴史的価値が明らかになりました。
墳形は方形で、一辺約23メートル、高さは4メートル以上に達します。墳丘の盛土には周辺の包含層が使用されており、発掘時には縄文土器片や弥生土器片、石器なども出土しました。また、墳丘の周囲には周溝が巡らされ、古墳全体の構造が明確に認識できるようになっています。
埋葬施設としては、南方向に開口する両袖式の横穴式石室が構築されており、その規模は次の通りです。
石室の石材は花崗岩で、玄室では6-9段、羨道では2-4段に積まれています。玄室の奥壁や側壁の下部には大石を使用し、その上に小型の石が積み重ねられています。玄室の床には10-25センチメートルの礫が敷かれ、その下には排水溝が設けられています。この排水溝は玄室の奥壁・側壁を環状に巡り、玄門部で合流して羨道と閉塞石の下をくぐる構造になっています。
石室内は盗掘の被害を受けていますが、発掘調査により以下のような貴重な遺物が発見されています。
特に陶棺は土師質亀甲形陶棺であり、破片ながら3種類が確認され、複数人物の埋葬が推測されています。また、中世に再利用された痕跡として、鎌倉時代から室町時代にかけての金銅仏、塑像仏片、花瓶、火舎、六器、瓦器椀、土師皿などが多数出土しました。
仏塚古墳の築造時期は、古墳時代後期の6世紀末(TK209型式期)頃と推定されています。この時期は推古天皇9年(601年)に斑鳩宮の造営が開始された時期に相当し、被葬者や築造主体者と厩戸皇子(聖徳太子)・上宮王家との関係が考えられる可能性があります。
仏塚古墳は長い歴史を持ち、中世には仏堂として再利用され、多くの仏教遺物が出土しています。これらの遺物は当時の信仰や文化を示す貴重な資料となっています。
1997年(平成9年)3月21日、仏塚古墳は奈良県指定史跡に指定され、その重要性が認められました。現在、石室内への立ち入りは制限されており、貴重な文化財として保護されています。
仏塚古墳は奈良県斑鳩町の静かな丘陵地に位置し、法隆寺からもほど近いため、観光の際にはぜひ訪れてみたい場所です。ただし、遺跡保護の観点から見学には一定の制限があるため、事前に情報を確認することをお勧めします。
仏塚古墳は、斑鳩の地に深く根ざした歴史を感じられる古墳であり、その壮大な石室構造や多様な出土品から古代の姿を垣間見ることができます。古代の日本文化に触れたい方には、ぜひ足を運んでいただきたい場所です。