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石上神宮

(いそのかみじんぐう)

古代から続く神聖なる祈りの地

日本最古級の神域が語る古代の記憶

石上神宮は、奈良県天理市布留町に鎮座する、日本でも屈指の古社です。日本に現存する最古の道として知られる「山の辺の道」の途上に位置し、深い緑に包まれた境内は、太古から連綿と続く信仰の歴史と神聖な空気に満ちています。古くは「いわがみさん」「布留の社」などと親しまれ、幕末から明治時代にかけても地域の人々の信仰を集めてきました。

式内社(名神大社)に列し、二十二社の中でも中七社として古くから崇敬されてきました。近代社格制度においては官幣大社に列し、現在は神社本庁の別表神社に指定されています。

日本書紀が伝える、神宮としての特別な位置づけ

奈良時代に成立した日本最古級の正史である『日本書紀』には、「神宮」と明記されている社は、伊勢神宮と石上神宮の二社のみと記されています。その中でも、石上神宮は最も古い神宮とされ、日本の国家形成と深く関わってきた特別な存在であることがわかります。

『日本書紀』は720年に完成したとされ、神話から当時の政治・社会までを体系的に記した歴史書です。その中で石上神宮は、神武天皇の東征や、国家祭祀、武器管理といった重要な場面にたびたび登場し、日本古代史の要所を担ってきました。

社名と別称

社名は「石上神宮」ですが、長い歴史の中で様々な別名でも呼ばれてきました。例えば、「石上振神宮」「石上坐布都御魂神社」「布留社」などの名称があります。地元では親しみを込めて「いわがみさん」と呼ばれることもありました。

御祭神と神剣「韴霊(ふつのみたま)」の神威

石上神宮の主祭神は、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)です。この神は、神剣「韴霊(布都御魂)」に宿る霊威そのものとされ、強大な武威と鎮魂の力を象徴しています。

『古事記』や『日本書紀』によれば、神武天皇が東征の途上、熊野の地で苦境に陥った際、天照大神と高木神(高御産巣日神)の命により、この神剣が遣わされ、天皇を救ったと伝えられています。その後、神剣は石上神宮に奉斎され、国家を守る霊剣として崇敬されてきました。

配神

以下の神々もあわせて祀られています。

神話と伝承に彩られた創建の由来

石上神宮の創建は非常に古く、『古事記』や『日本書紀』にもその名が記されています。創建伝承によれば、神武天皇の東征の際、布都御魂剣が大きな力を発揮し、それを祀るために当社が設けられたと伝えられています。

この剣は当初、物部氏の祖・宇摩志麻治命によって宮中で祀られていましたが、崇神天皇7年に、物部氏の伊香色雄命が現在の場所に遷し、「石上大神」として祀ったのが始まりとされています。

社伝に見る剣の伝来と神宝の物語

社伝には、素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した際に用いたとされる十握剣が、石上布都魂神社(現・岡山県赤磐市)から遷されたとも語られています。この剣もまた「布都御魂剣」とされ、神聖な宝物として祀られています。

朝廷との関わりと国家的祭祀

石上神宮は古代より国家祭祀と深く関わり、武器庫としての役割も果たしていました。延暦23年(804年)には、兵仗が山城国へ移された際に怪異が続発し、神宝を元に戻すこととなりました。このように、石上神宮に宿る霊力は朝廷からも強く意識されていました。

神階としては、嘉祥3年(850年)に正三位、貞観元年(859年)に従一位、貞観9年(868年)に正一位を受けるなど、その格式の高さがうかがえます。

中世から近世への変遷

中世には布留郷の鎮守として栄え、神宮寺である内山永久寺とともに信仰を集めました。戦国時代には多くの神領を失いましたが、地元の信仰は衰えることなく続きました。

江戸時代には「西の日光」と呼ばれるほど壮麗であった内山永久寺も、明治の廃仏毀釈により廃寺となりましたが、石上神宮は1871年に官幣大社に列し、1883年には再び「神宮」を名乗ることが許されました。

本殿を持たなかった神社――禁足地信仰

石上神宮の大きな特徴のひとつが、古来、本殿を持たなかったという点です。社殿の奥に広がる約1,300平方メートルの禁足地「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」こそが、信仰の中心でした。

この禁足地には、地中深く神剣や神宝が埋納され、それ自体が御神体として崇拝されてきました。明治7年(1874年)、政府の許可を得て行われた発掘調査では、神剣「韴霊」とともに、大刀、矛、鏡、勾玉、玉類などが多数出土し、その多くが重要文化財に指定されています。

布都御魂剣が出土したことから、神宝を奉斎するために本殿が建設され、1913年に完成しました。現在も禁足地は剣先状の石瑞垣で囲まれ、神域として厳重に守られています。

国宝・拝殿――現存する日本最古の拝殿

現在の拝殿は、現存する日本最古の拝殿として知られ、国宝に指定されています。伝承によれば、1081年、当神宮を深く崇敬した第72代白河天皇が、宮中の神嘉殿(しんかでん)を下賜し、拝殿として移築したとされています。

建築様式は、入母屋造・桧皮葺で、仏堂風の外観を持ちながら、平安時代の手法と鎌倉時代の新しい技法が融合した貴重な建築です。内部には非公開の宝物が保管されており、国家祭祀の中枢を担ってきた歴史の重みを今に伝えています。

楼門――鎌倉時代の威厳を今に伝える

境内正面に建つ楼門は、鎌倉時代末期の1318年に造営されたもので、重要文化財に指定されています。かつては鐘楼門として鐘が吊るされていましたが、明治初期の神仏分離令により鐘は撤去されました。

楼門には、山縣有朋の筆による「萬古猶新(ばんこゆうしん)」の額が掲げられ、「永遠に古く、しかも常に新しい」という、石上神宮の歴史そのものを象徴する言葉として、多くの参拝者の心に残ります。

国宝・七支刀と武器庫としての石上神宮

石上神宮を語るうえで欠かせないのが、七支刀(しちしとう)です。両刃の剣の左右に三本ずつ枝状の突起を持つ特異な形状で、百済から献上されたとされるこの剣は、金象嵌による銘文を有し、国宝に指定されています。

古代、大和朝廷において石上神宮は、物部氏の管理のもと、武器庫としての役割も担っていました。『日本書紀』には、朝廷が造らせた千口の剣を石上神宮に奉納したという記述があり、軍事と祭祀が密接に結びついていたことがうかがえます。

物部氏と石上神宮

飛鳥時代の有力豪族である物部氏は、石上神宮を総氏神として崇敬し、神剣・神宝の管理や軍事を司ってきました。やがて物部氏は「石上氏」とも称され、石上宅嗣など、古代文化史に名を残す人物を輩出しています。

このように、石上神宮は単なる信仰の場にとどまらず、国家運営や軍事、文化の中心として機能してきた特異な神社なのです。

境内の自然と神杉

境内は常緑樹に囲まれ、山の辺の道へと続く静かな自然環境が保たれています。中でも、万葉の時代から「石上布留の神杉」と詠われてきた巨杉は、信仰の象徴として人々の畏敬を集めています。

西側の神杉は樹齢約400年、高さ約35メートル、東側の神杉は樹齢350年以上、高さ約30メートルとされ、その堂々たる姿は、訪れる人々に深い感動を与えます。

御神鶏――神のお使いとして親しまれる存在

石上神宮では、鶏が神使として大切にされています。境内では、東天紅鶏や烏骨鶏など、約30羽の鶏が放し飼いにされており、人なつっこい姿で参拝者を迎えてくれます。

鶏は古来、夜明けを告げる神聖な鳥として『古事記』『日本書紀』にも登場し、時を司る存在として信仰されてきました。受験や仕事など「落ちない」縁起物として、御神鶏絵馬や御神鶏みくじも人気です。

境内の見どころ

歴史的建造物

その他の施設

長生殿、神庫、鏡池、神饌所、社務所、参集殿、儀式殿などの施設が整備されており、参拝者にとって快適な環境が整っています。

摂社・末社

出雲建雄神社

旧内山永久寺にあった住吉神社の拝殿が1914年に移築され、現在は出雲建雄神社の拝殿として使用されています。石上神宮との深い関わりを示す建築物の一つです。

例祭「ふるまつり」――古式ゆかしい神幸行列

毎年10月15日に行われる例祭「ふるまつり」では、御鳳輦(ごほうれん)と呼ばれる神輿が田町のお旅所まで渡御します。総勢200人にも及ぶ時代装束の行列は壮観で、古代から続く祭礼の姿を今に伝えています。

石上神宮が誇る文化財 ―― 古代日本を今に伝える至宝

石上神宮には、日本の成立と深く関わる国宝・重要文化財・県指定文化財が数多く伝えられています。神剣信仰を中核とする祭祀の歴史と、武器庫としての役割を担ってきた背景から、他の神社には見られない特徴的な文化財群が保存されています。

国宝 ―― 国家と神を結ぶ最高級の文化財

七支刀(しちしとう)

石上神宮を代表する国宝が七支刀です。両刃の剣身から左右に三本ずつ枝状の刃が突き出す特異な形状を持ち、世界的にも類例のない古代武器として知られています。

刀身には金象嵌による銘文が刻まれており、百済王が倭王に献上したと解釈される内容が読み取れます。このことから、七支刀は古代日本と朝鮮半島との外交関係を示す第一級の史料とされ、歴史学・考古学の両面から極めて重要な存在です。

拝殿(建造物)

国宝に指定されている拝殿は、現存する日本最古の拝殿建築です。1081年、白河天皇によって宮中の神嘉殿が下賜・移築されたと伝えられています。

朱塗りの柱と入母屋造・桧皮葺の屋根を備え、平安時代末期から鎌倉時代初期の建築様式を伝える貴重な遺構であり、神社建築史においても極めて重要な位置を占めています。

摂社 出雲建雄神社 拝殿

楼門前の石段上に建つ摂社・出雲建雄神社拝殿も国宝に指定されています。鎌倉時代後期、1300年の建立とされ、もとは内山永久寺の鎮守社の拝殿でした。

現在は草薙剣の荒魂とされる出雲建雄神を祀り、石上神宮の神剣信仰を補完する重要な存在となっています。

重要文化財 ―― 武器と祭祀を物語る遺産

楼門

鎌倉時代末期の1318年に建立された楼門は、重要文化財に指定されています。かつては鐘楼門として鐘が吊るされていましたが、神仏分離により現在の姿となりました。

堂々とした構えと朱塗りの色彩は、石上神宮の格式の高さを象徴しています。

石上神宮禁足地出土品

明治7年に行われた禁足地の発掘調査では、環頭大刀・勾玉・管玉・鏡・金銅製装身具などが多数出土しました。これらは「石上神宮禁足地出土品」として一括指定され、重要文化財となっています。

これらの遺物は、石上神宮が単なる信仰の場ではなく、国家的な神宝奉斎の中心地であったことを明確に示しています。

鉄盾(てつじゅん)

古墳時代に作られた鉄盾も重要文化財に指定されています。鍵手文様と呼ばれる幾何学的な装飾を持ち、実戦用であると同時に、神事にも用いられたと考えられています。

石上神宮が古代において、朝廷の武器管理を担っていたことを物語る貴重な資料です。

奈良県指定文化財・天然記念物

太刀「銘 義憲作(小狐丸)」

奈良県指定有形文化財である太刀「小狐丸」は、名工・義憲による作とされ、伝説と歴史が重なり合う名刀です。石上神宮に伝わる数多くの神剣信仰を象徴する存在です。

鏡池とワタカ

境内の鏡池に生息するワタカは、奈良県指定天然記念物です。日本固有の淡水魚で、清浄な水環境が維持されてきた証でもあります。

まとめ ― 日本最古の神宮の神秘

石上神宮は、日本神話や国家の歴史と深く結びつく、神聖かつ荘厳な神社です。数多くの神宝や伝承を抱え、今なお多くの参拝者を惹きつけています。古代から現代まで連綿と続く信仰の形を体感することができるこの地を、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
石上神宮
(いそのかみじんぐう)
住所
奈良県天理市布留町384
電話番号
0743-62-0900
料金

無料

駐車場
あり
アクセス

天理駅から徒歩で30分

天理駅からバスで7分

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