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中宮寺

(ちゅうぐうじ)

中宮寺は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北に位置する聖徳宗の寺院で、山号は「法興山」です。本尊は如意輪観音で、法隆寺に隣接しています。その創建は聖徳太子が母后である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)のために建立した尼寺と伝えられています。開基(創立者)は聖徳太子または間人皇后とされ、日本最古の刺繍である「天寿国繡帳」(国宝)を所蔵していることでも知られています。

歴史

創建と移転

中宮寺は現在の法隆寺東院の北に位置していますが、創建当初は現在地から約500メートル東にある「中宮寺跡史跡公園」の場所にありました。この旧寺地からは7世紀前半の創建を示す遺構が発掘されており、法隆寺とほぼ同時期に建てられたことが示唆されています。その後、16世紀末頃に現在の位置に移転し、尼門跡寺院として発展を遂げました。

鎌倉時代の復興

平安時代に一度衰退した中宮寺は、鎌倉時代に信如比丘尼によって復興されました。信如は1274年に法隆寺の倉庫から聖徳太子ゆかりの「天寿国繡帳」を発見し、これが寺の再興に大きく寄与しました。この時期、中宮寺は法相宗に属していましたが、その後真言宗泉涌寺派に転じています。

戦国時代から江戸時代へ

戦国時代には中宮寺が焼失するという困難もありましたが、避難先であった法隆寺の子院にそのまま寺基を移し、存続を図りました。その後、1602年(慶長7年)には初代門跡として慈覚院宮を迎え、斑鳩御所と称される尼門跡としての格式を保ちながら江戸時代を通じて存続しました。

近代から現代へ

明治維新後は尼門跡としての格式が一時失われましたが、第二次世界大戦後に法隆寺を総本山とする聖徳宗に合流しました。近年も修復や拝観再開が行われ、伝統を保ちながら現代に至っています。2021年には本堂の改修が完了し、再び多くの参拝者を迎えています。

伽藍と文化財

現存の建築物

中宮寺跡

かつての中宮寺は、現在の位置から東方約500メートルに位置し、現存する伽藍跡は「中宮寺跡史跡公園」として整備されています。1963年からの発掘調査により、金堂と塔の遺構が発見され、その配置は四天王寺と同様に金堂を北、塔を南に並べる形式であったことが判明しています。この配置は飛鳥時代の特色を示し、当時の宗教建築の貴重な遺構として国の史跡に指定されています。

主な文化財

アクセス

中宮寺へのアクセスは以下の通りです。
所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
交通手段:JR法隆寺駅から徒歩またはバスでアクセス可能です。奈良交通バス(62・63・92系統)で「法隆寺前」下車後、徒歩数分。

まとめ

中宮寺は日本仏教の源流を示す重要な寺院の一つであり、聖徳太子の慈悲と信仰が息づく場所です。その長い歴史と数々の文化財は、訪れる人々に深い感動と静かな敬虔さをもたらしてくれることでしょう。法隆寺とともに訪れることで、より深く日本の仏教文化に触れることができます。

Information

名称
中宮寺
(ちゅうぐうじ)

天理・法隆寺

奈良県