大安寺は、奈良県奈良市大安寺二丁目に位置する高野山真言宗の寺院で、山号はありません。本尊は十一面観音です。創建は舒明天皇によると伝えられ、かつては東大寺や興福寺と並ぶ南都七大寺のひとつとして栄えました。現在では、癌封じの寺として多くの参拝者を集めています。
大安寺の起源は、聖徳太子が平群郡額田部(へぐりぐんぬかたべ)に建立したとされる熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)に始まります。その後、飛鳥の地で百済大寺、高市大寺、大官大寺と寺名や場所を変え、奈良時代に藤原京から平城京の現在地へ移され大安寺と称されました。
奈良時代、大安寺は官立寺院として広大な伽藍を誇り、東西2基の七重塔が立ち、「大安寺式伽藍」と呼ばれる壮麗な構造を持っていました。当時、887名もの学僧が滞在し、仏教の学問や修行に励んでいました。名僧としては、東大寺大仏開眼の導師を務めたインド僧・菩提僊那や唐僧の道璿、チャンパ僧の仏哲などが在籍しました。
平安時代以降、大安寺は次第に衰退し、寛仁元年(1017年)の火災で主要堂塔を焼失しました。その後も完全な復興には至らず、江戸時代には小さな観音堂だけが残る状態となりました。しかし、1882年(明治15年)に奥山慶瑞や佐伯泓澄らにより小堂と庫裏が建立され、1922年(大正11年)には現在の本堂が建てられました。
現在の大安寺は、かつての壮麗な伽藍に比べると規模は縮小されていますが、境内は参拝者にとって魅力的な施設が整備されています。
本堂(1922年再建)には、本尊の十一面観音立像(重要文化財)が安置されています。本尊は秘仏で、例年10月から11月にかけてのみ公開されます。
嘶堂(いななきどう)には、馬頭観音立像(重要文化財)が祀られています。この像も秘仏で、毎年3月に限り公開されます。堂の周囲にはインド八聖地・四国八十八ヶ所のお砂踏み霊場が設けられており、巡礼体験も可能です。
境内には、護摩祈祷を行う護摩堂や、先師の供養塔、美流孔(みるく)塚(乳癌封じの祈願塚)などがあります。また、楊柳観音立像をはじめとする7躯の木彫仏を安置する讃仰殿も見どころです。
山門(南門)は、興福寺旧一乗院の門を移築して復元されたもので、南大門の基壇上に建っています。境内の西側には七重塔跡(西塔跡)、東側には東塔跡が復元されています。塔の心礎や基壇から、かつての大伽藍の壮大さを偲ぶことができます。
大安寺には、奈良時代末期に造立された木彫仏9体が現存しています。
これらの仏像は、唐招提寺の旧講堂仏像群との作風的な類似も指摘されており、当時の木彫技術の高さを伝えています。
大安寺旧境内は、1921年(大正10年)に国の史跡に指定され、その後、石橋瓦窯跡なども附指定されています。境内には、南側の東西両塔跡、北側の杉山古墳など、奈良時代の遺構が含まれます。
毎年1月23日には、光仁天皇の御忌法要に合わせてささ酒まつりが開催されます。天皇がかつて大安寺で楽しんだとされる日本酒を温めて参拝者に振る舞い、健康長寿とがん封じを祈願します。早朝から終日、境内には祈りと酒の香りが満ちあふれます。
毎年6月23日には竹供養が行われます。「竹酔日」の故事にちなみ、竹の恩恵に感謝し供養する祭です。終日がん封じの祈祷が行われ、虚無僧の献曲や竹林加持なども実施されます。
大安寺へのアクセスは、奈良交通バス「大安寺」停留所から徒歩約10分です。境内は国の史跡として整備されており、四季折々の風景を楽しみながら参拝できます。春には桜、秋には紅葉と、歴史と自然が融合した美しい景観が広がります。
大安寺は、奈良時代の官寺として日本仏教史における重要な役割を果たしました。平城京への遷都に伴い移転され、天平時代には887名もの学僧が学ぶ仏教大学のような存在でした。聖徳太子や舒明天皇の関わり、百済大寺・高市大寺・大官大寺としての変遷を経て、現在の大安寺に至ります。
平安時代以降は衰退したものの、江戸時代・明治以降の再建を通じて、奈良時代の文化財や伽藍の精神を今に伝えています。天平仏や瓦、鬼面紋鬼瓦などの出土品は、奈良時代の技術や美意識を現代に伝える貴重な文化財です。
大安寺は、奈良時代の官寺としての壮大な歴史を持ちながら、現代では癌封じの寺として多くの参拝者を集めています。重要文化財である天平仏や伽藍跡、杉山古墳、各種祭事など、歴史・文化・信仰が融合した奈良を代表する寺院の一つです。四季折々の風景と共に、古代から続く仏教文化の息吹を感じながら参拝できる貴重な場所となっています。