奈良県 > 奈良市・生駒市 > 円成寺(奈良市)

円成寺(奈良市)

(えんじょうじ)

円成寺は、奈良県奈良市忍辱山町に位置する、真言宗御室派の由緒ある古刹です。山号を忍辱山(にんにくせん)と称し、本尊には阿弥陀如来を安置しています。奈良市街地と剣豪の里・柳生を結ぶ柳生街道沿いにたたずむこの寺は、深い山あいの静寂と、豊かな自然に包まれた歴史的寺院として知られています。

円成寺は、鎌倉時代を代表する仏師・運慶の現存する最も初期の作品である国宝・木造大日如来坐像を所蔵することで名高く、日本彫刻史において極めて重要な位置を占めています。また、秋には境内一帯が鮮やかな紅葉に染まり、奈良屈指の紅葉の名所としても親しまれています。

柳生街道随一の名刹

円成寺は、奈良市街と柳生の里のほぼ中間地点に位置し、古くから柳生街道随一の名刹と称されてきました。境内には、鎌倉時代の貴重な建築である春日堂・白山堂(国宝)をはじめ、室町時代に再建された本堂(重要文化財)楼門(重要文化財)、そして平成時代に再建された朱塗りの多宝塔など、時代ごとの建築が調和よく配置されています。

さらに、藤原時代に造営されたとされる円成寺庭園(国指定名勝)は、浄土式庭園と舟遊式庭園の特色をあわせ持つ名園で、平安貴族の美意識を今に伝える極めて貴重な遺構です。

円成寺の歴史

円成寺の創建と中興

円成寺の創建については諸説あり、奈良時代創建説や延喜年間(10世紀初頭)創建説などが伝えられています。『和州忍辱山円成寺縁起』では、鑑真とともに来日した唐僧・虚滝(ころう)が、天平勝宝8年(756年)に聖武天皇の勅願によって建立したと記されていますが、史料的裏付けは乏しく、伝承の域を出ません。

一方、『忍辱山知恩院縁起』によれば、延喜年間に益信という僧がこの地を訪れ、寺を建立して円成寺と号したと伝えられています。確かな史実として注目されるのは、命禅(みょうぜん)という僧を中興の祖とする点です。

『本朝高僧伝』によれば、命禅は万寿3年(1026年)、諸国行脚の末に忍辱山に至り、十一面観音立像を安置して円成寺を再興したとされています。この観音像は春日明神の作と伝えられ、円成寺が「春日の奥の院」と呼ばれる由縁ともなりました。

阿弥陀信仰と真言密教の融合

平安時代後期になると、浄土教系の迎接上人経源によって、天永3年(1112年)に阿弥陀堂が建立され、本尊として阿弥陀如来が安置されました。これが現在の本尊につながる阿弥陀信仰の始まりと考えられています。

その後、仁平3年(1153年)には、御室仁和寺の高僧である寛遍僧正が入寺し、真言密教の一流派である忍辱山流を興しました。これにより、円成寺は阿弥陀信仰と真言密教が融合した独自の宗教空間として整えられていきました。

室町時代の再興

室町時代、応仁の乱(15世紀後半)によって円成寺の堂塔伽藍の多くは焼失します。しかし、子院・知恩院の院主であった栄弘阿闍梨を中心に再興が進められ、文明19年(1487年)には14の堂宇が復興し、寺の威容を取り戻しました。

江戸時代から明治時代

江戸時代に入ると、徳川家康の庇護を受け、高麗版大蔵経を献上することで寺領が加増され、円成寺は大きな寺勢を誇るようになります。寺領235石、子院23か寺を有する大寺院となりました。

しかし明治時代の廃仏毀釈により子院はすべて廃絶し、一時は衰退しました。明治15年(1882年)に盛雅和尚が入寺したことで、次第に復興の道を歩み始めます。

国宝・運慶作 大日如来坐像

円成寺最大の見どころは、相應殿に安置されている木造大日如来坐像(国宝)です。本像は安元2年(1176年)に完成した、運慶20歳代の初期作であり、日本彫刻史における画期的作品とされています。

智拳印を結び、結跏趺坐する像容は、理知的で引き締まった表情をたたえ、平安時代の定朝様式とは一線を画す写実性を示しています。玉眼を用いた眼差し、筋肉の張りや衣文の表現には、鎌倉彫刻の新しい時代の到来を感じさせます。

台座裏に残された墨書銘には、制作開始から完成までの過程や報酬が記されており、仏師自らが作者名を記した最初期の例としても極めて貴重です。

円成寺庭園 ― 藤原貴族の美意識

楼門前に広がる円成寺庭園(国指定名勝)は、平安時代後期に造営された浄土式庭園です。苑池を中心に据え、舟遊式の要素も取り入れた構成は、藤原貴族の優雅な庭園文化を今に伝えています。

池越しに望む本堂や楼門、多宝塔の景観は、四季折々に異なる表情を見せ、特に秋の紅葉期には幽玄な美しさに包まれます。

境内の主な堂宇

本堂(阿弥陀堂)(重要文化財)

室町時代の建築で、寝殿造風を取り入れた入母屋造の妻入建築です。内部には本尊阿弥陀如来坐像と四天王立像が安置され、須弥壇上部には折上格天井と小組格天井が設けられています。内陣の柱には阿弥陀如来に随って来迎する二十五菩薩が描かれており、全国的にも珍しい例とされています。

春日堂・白山堂(国宝)

本堂の脇に建つ二棟の社殿で、安貞2年(1228年)に春日大社本殿を移築したものです。春日造社殿の現存最古の例で、表は入母屋、裏は切妻、桧皮葺、鎌倉時代初期の社殿建築の特色をよく残しています。明治の神仏分離令を逃れるため仏堂風に「堂」と称して保存されました。

楼門(重要文化財)

応仁2年(1468年)に再建された楼門は、三間一戸入母屋桧皮葺で、下層の出入り口上に花肘木を入れ、上下層とも和様三手先を用いた優美な建築です。

多宝塔

現在の多宝塔は1990年(平成2年)に再建されたもので、朱色が美しく、境内の景観を引き締めています。かつては老朽化により初層部分しか残っていませんでしたが、再建により完全な塔の姿を取り戻しました。

相應殿

運慶作の国宝・大日如来坐像を安置する建物で、もともとは本堂内に安置されていましたが、多宝塔を経て現在の相應殿に移されました。

その他の建造物

文化財と国宝

大日如来坐像(国宝)

本像は鎌倉時代初期、運慶20歳代の作品で、智拳印を結んで結跏趺坐する姿勢をとっています。像高98.8センチメートル、ヒノキ材の寄木造、漆箔仕上げ、眼は玉眼を用いています。材の厚みを残した内刳、条帛や肩・耳の垂髪も別材で造形されるなど、写実性と理知的表現が特徴です。台座の蓮肉部の裏面には運慶と師匠康慶の墨書銘が残されており、制作年代や報酬などが明確に記録されています。

その他の重要文化財

名勝・庭園

円成寺庭園は浄土式庭園で、舟遊式の要素も取り入れた藤原期の作庭です。庭園は本堂から楼門や多宝塔を望む構図になっており、寝殿造系の設計思想が反映されています。

その他の文化財

南無仏太子立像(奈良県指定有形文化財)、僧形文殊坐像、螺鈿燈台、輪燭台、舎利講式、大蔵請来二合船残録、絹本著色両界曼荼羅図(鎌倉時代)など、多くの寺宝が円成寺に伝わっています。

霊場としての円成寺

円成寺は大和十三仏霊場第12番札所でもあり、信仰の地としても多くの参拝者を集めています。歴史、信仰、美術、庭園が一体となった円成寺は、奈良観光において欠かすことのできない存在です。

アクセス

JR奈良駅・近鉄奈良駅より奈良交通バス柳生方面行きで約40分、「忍辱山」バス停下車すぐ。柳生の里とあわせて巡る歴史散策コースとしてもおすすめです。

静寂と芸術に包まれる寺

円成寺は、山里の静けさの中で、日本仏教美術の最高峰と出会える特別な寺院です。運慶の息遣いを感じる仏像、平安貴族の夢を映す庭園、そして悠久の歴史が織りなす空間は、訪れる人の心を深く癒してくれるでしょう。

Information

名称
円成寺(奈良市)
(えんじょうじ)

奈良市・生駒市

奈良県