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元興寺 極楽坊

(がんごうじ ごくらくぼう)

古都奈良に息づく祈りの原風景

元興寺極楽坊は、奈良県奈良市中院町に位置する真言律宗の寺院で、かつて南都七大寺の一つとして栄えた元興寺の子院・極楽坊の系譜を引く寺院です。本尊は智光曼荼羅で、阿弥陀如来を中心に極楽浄土の世界を描いた変相図として知られています。現在は「古都奈良の文化財」の構成資産として、世界遺産にも登録され、国内外から多くの参拝者・観光客を迎えています。

日本仏教の源流 ― 法興寺から元興寺へ

元興寺の歴史は、日本仏教の始まりと深く結びついています。その前身は、6世紀末に蘇我馬子によって創建された法興寺(飛鳥寺)で、日本初の本格的仏教寺院とされています。710年の平城京遷都に伴い、法興寺は現在の奈良市中心部へと移転され、寺号を元興寺と改めました。

奈良時代の元興寺は、東大寺・興福寺と並ぶ大寺院として隆盛を誇り、伽藍は南大門・中門・金堂・講堂・五重塔・僧房などが整然と並ぶ壮大な規模を有していました。その寺域は現在の「ならまち」と呼ばれる地域の大部分を占めていたとされ、まさに都の中核を成す存在でした。

衰退の中に残された僧房 ― 極楽坊の誕生

しかし、平安時代中期以降、律令制度の衰退とともに元興寺の勢威は次第に衰え、広大な伽藍も荒廃していきます。中世には度重なる災害や兵乱により、多くの堂宇が失われました。その中で、奇跡的に残ったのが僧房の一部でした。

この僧房の東端部分が、後に極楽坊と呼ばれるようになります。奈良時代の学僧・智光が、自らの信仰に基づいて描かせた智光曼荼羅を安置したことが始まりとされ、阿弥陀浄土信仰の高まりとともに、庶民の信仰を集める独立した信仰空間へと発展していきました。

国宝・極楽堂(本堂)の建築的価値

現在の本堂(極楽堂)は、鎌倉時代の寛元2年(1244年)に再建されたものと考えられています。旧僧房を改造した極めて特異な建築で、外観は寄棟造・瓦葺、東を正面とする阿弥陀堂特有の形式を持っています。

特筆すべきは、内部構造に奈良時代の建築部材が数多く再利用されている点です。内陣を囲む太い角柱や天井板、小屋組に至るまで、古材が巧みに転用されており、奈良時代僧房の面影を今に伝えています。また屋根瓦には、飛鳥・奈良時代の古瓦が使われ、その独特の形状から行基葺と呼ばれる葺き方を見ることができます。

禅室 ― 世界最古級の木造建築部材を伝える遺構

本堂の西側に接して建つ禅室も国宝に指定されています。切妻造・瓦葺の簡素な建物で、かつては本堂と一体となった長大な僧房でした。年輪年代測定の結果、一部に西暦582年伐採の木材が使用されていることが判明し、現存する木造建築部材としては世界最古級と評価されています。

内部は複数の区画に分かれ、1区画につき数名の僧が生活していたとされ、古代僧侶の修行と生活の様子を具体的に想像させてくれます。

法輪館と庶民信仰の宝庫

境内にある法輪館は入館無料の収蔵施設で、奈良時代の五重小塔(国宝)をはじめ、木造阿弥陀如来坐像、智光曼荼羅、板塔婆や千体仏など、数万点に及ぶ庶民信仰資料を展示しています。

これらの資料は、本堂解体修理の際に屋根裏から発見されたもので、中世から近世にかけての人々の信仰のあり方を生き生きと伝えています。学術的価値も高く、元興寺文化財研究所による調査研究が現在も続けられています。

荒廃から再生へ ― 近代の元興寺極楽坊

明治以降、極楽坊は一時荒廃し、本堂も「化け物が出る」と噂されるほどの状態に陥りました。しかし、第二次世界大戦中に住職となった辻村泰圓が、戦後の社会福祉活動と並行して境内整備と堂宇修理に尽力したことで、寺は次第に往時の尊厳を取り戻していきます。

1955年に寺号を「元興寺極楽坊」と改め、さらに1977年には「元興寺」と改称。現在では、歴史・建築・信仰のすべてを体感できる奈良屈指の文化遺産として、多くの人々を魅了しています。

観光の見どころ ― 静寂の中で歴史と向き合う

元興寺極楽坊の魅力は、華やかさよりも静けさと重層的な歴史にあります。奈良時代から現代に至るまで、幾度もの盛衰を経て残された建物や仏像は、日本仏教の歩みそのものを物語っています。

ならまち散策の途中に立ち寄り、瓦一枚、柱一本に刻まれた時間の深さに思いを馳せるひとときは、奈良観光の中でも格別の体験となるでしょう。

Information

名称
元興寺 極楽坊
(がんごうじ ごくらくぼう)

奈良市・生駒市

奈良県