西大寺は、奈良県奈良市西大寺芝町に位置する、真言律宗の総本山として知られる由緒正しい寺院です。山号は勝宝山、本尊には釈迦如来を安置し、奈良時代から現代に至るまで、日本仏教史において極めて重要な役割を果たしてきました。東大寺と並び称される存在として、古都奈良の宗教・文化・政治を語る上で欠かすことのできない寺院です。
西大寺の創建は、天平神護元年(765年)にさかのぼります。発願者は、孝謙天皇として即位したのち再び即位し称徳天皇と名乗った女帝です。藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱という国家的危機に際し、称徳天皇は国家安泰と反乱平定を願い、鎮護国家の守護神である四天王の造立を発願しました。その四天王像を安置するために建立されたのが西大寺の始まりです。
父帝・聖武天皇が東大寺を建立したのに対し、称徳天皇は平城宮の西にこの大寺を建立しました。これが「西大寺」という名称の由来であり、東大寺と対をなす国家的寺院として、南都七大寺の一つに数えられました。創建当初の西大寺は、薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、東西の五重塔などが整然と並ぶ壮麗な伽藍を誇り、仏教国家・奈良の象徴的存在であったのです。
しかし、都が平安京へ遷都されると、奈良の諸大寺は徐々に衰退していきました。西大寺も例外ではなく、火災や自然災害、寺勢の低下により、往時の壮麗な姿を失っていきます。平安時代中期以降は、興福寺の支配下に置かれるなど、独自の活動が難しい時期が続きました。
それでも、創建当初の精神や信仰は完全に失われることはなく、四天王信仰をはじめとする護国の思想は、寺の根幹として受け継がれていきました。この静かな存続の時代があったからこそ、後世の大復興につながる土壌が保たれたとも言えるでしょう。
西大寺の歴史において、最も重要な人物が鎌倉時代の高僧、叡尊(えいそん)上人です。叡尊上人は、建仁元年(1201年)に生まれ、若くして各地で厳しい修行を重ねました。当時の仏教界は堕落が指摘される状況にあり、叡尊上人はこれを深く憂い、戒律の復興と民衆救済を生涯の使命と定めます。
文暦2年(1235年)、荒廃していた西大寺に入った叡尊上人は、「興法利生」――仏法を興し、人々を救う――という理念のもと、寺の再興に尽力しました。密教と戒律を一体として修行する「密律不二」の教えを掲げ、西大寺を真言律宗の根本道場として復興させたのです。
また、叡尊上人は社会福祉的な活動にも力を注ぎ、病者や貧者の救済、施薬、施食などを積極的に行いました。これらの活動は、単なる宗教行為にとどまらず、当時の社会における実践的な救済事業として高く評価されています。その功績により、叡尊上人は後に朝廷から「興正菩薩」の号を賜りました。
室町時代には兵火や火災により再び大きな被害を受けた西大寺ですが、江戸時代に入ると幕府から寺領が安堵され、次第に再建が進められました。現在の本堂や主要な堂宇の多くは、この江戸時代中期から後期にかけて整えられたものです。
特に本堂は、文化5年(1808年)頃に完成した大規模仏堂で、装飾を抑えた質実剛健な造りが特徴です。土壁を用いない伝統的工法により建てられたこの本堂は、江戸時代後期の仏教建築を代表する存在として、重要文化財に指定されています。
本堂に安置される木造釈迦如来立像は、建長元年(1249年)に仏師・善慶によって造られたもので、「清凉寺式釈迦如来像」の代表作として知られています。京都・清凉寺の生身釈迦像を模したこの像は、写実性と霊性を兼ね備えた鎌倉彫刻の傑作です。
さらに、愛染堂に安置される愛染明王坐像や、国宝に指定される叡尊(興正菩薩)坐像など、西大寺には鎌倉時代の仏教美術を代表する貴重な文化財が数多く伝えられています。これらの仏像には、当時の信仰の深さや、仏教芸術の高度な技術が如実に表れています。
西大寺を語る上で欠かせない行事が、叡尊上人に始まる大茶盛式です。延応元年(1239年)、寺の復興を感謝して八幡神社に献茶した際、余ったお茶を参詣者に振る舞ったことが起源とされています。
直径30センチ以上、重さ約7キログラムにもなる大茶碗を、参列者が順に回し飲みするこの茶儀は、「一味和合」――同じ味を分かち合い、心を一つにする――という仏教的理念を象徴しています。酒を禁じる戒律に基づき、「酒盛」に代わるものとして生まれた大茶盛は、800年を超える時を経た今も、西大寺の精神文化を体現する行事として大切に受け継がれています。
現在の西大寺境内には、本堂、愛染堂、四王堂、東塔跡、鐘楼、南門など、多くの歴史的建造物が点在しています。奈良時代創建当初の壮大な伽藍をしのばせる東塔跡の基壇や礎石は、訪れる人々に悠久の歴史を感じさせます。
また、境内は国の史跡にも指定されており、奥の院にある叡尊上人の廟塔や、称徳天皇ゆかりの地も含め、寺全体が歴史遺産として大切に守られています。静かな境内を歩けば、奈良時代から鎌倉、江戸、そして現代へと続く時の流れを、肌で感じることができるでしょう。
現在の西大寺は、真言律宗の総本山として宗教的役割を果たすと同時に、奈良を代表する観光地としても多くの人々を迎えています。近鉄大和西大寺駅から徒歩数分という立地の良さもあり、国内外からの参拝者が絶えることはありません。
歴史、信仰、文化財、そして人々の祈りが重なり合う西大寺は、単なる史跡ではなく、生きた信仰の場として今も息づいています。奈良を訪れる際には、ぜひ時間をかけて西大寺を巡り、その奥深い魅力と精神文化に触れてみてはいかがでしょうか。