奈良県 > 吉野・天川村・十津川 > 河分神社(黒滝村)

河分神社(黒滝村)

(かわわけ じんじゃ)

河分神社は、奈良県吉野郡黒滝村大字中戸に鎮座する、由緒ある神社です。黒滝村の6つの大字─赤滝、中戸、寺戸、脇川、堂原、御吉野─における産土神として、地域の信仰を集めてきました。

立地と周辺環境

神社は黒滝川と川合川が合流する中戸字川戸に位置しており、かつては口吉野の下市から広橋峠、小南峠を経て大峰山登山口の洞川へ向かう「山上街道(山上参り道)」沿いにありました。現在でも、県道洞川下市線と県道赤滝五條線が交わる交通の要衝として、重要な役割を果たしています。

境内は丘陵の尾根の先端にあり、銀杏や杉の巨木が静かに佇む、荘厳で落ち着いた雰囲気を持っています。

歴史と信仰

河分神社は、奈良の春日大社の祭神を分けて勧請した神社ですが、その分霊の正確な時期は不明です。古くは「河分大明神」と称され、「河分明神さん」と親しまれ崇敬されていました。

この神社は古くから祈雨・祈晴の霊験があると伝えられ、文禄4年(1595年)および延宝7年(1679年)の検地では「村中氏神 河分大明神 神宮山」と記され、除地とされています。これは春日分神以前から、この場所に自然神の信仰が根付いていたことを示しています。

黒滝川と川谷川の合流地点という地理的特徴から、水に関わる信仰(水分神)の霊地とされてきた可能性が高く、ある時期には「四社神社」とも称されていました。後に「河分神社」と改称され、今日に至ります。

南光寺と阿弥陀如来坐像

神社にはかつて、神宮寺(別当寺)の南光寺が併設されており、明治7年(1874年)以前には社僧別当1人、神職5人が所属していました。南光寺の本尊である阿弥陀如来坐像は、現在も神社そばの大日堂に祀られており、黒滝村指定文化財となっています。

像内の墨書銘には、天文5年(1536年)の年記や「大和州釜口住英尊」など多くの人名が記されており、釜口(長岳寺)が大峰山修験との関わりがあることから、この像も大峰山を目指す修験者とのつながりが想定されます。なお、かつてはこの像を大日如来とする伝承も広く知られていました。

社前の庄屋と黒滝・森物語村

河分神社の前には、旧庄屋森家の屋敷があり、江戸時代には「樽丸」の荷受問屋を営んでいました。この屋敷と、かつて村役場として使われた旧黒滝村庁舎(元・吉野材木黒滝郷同業組合事務所)は、現在「黒滝・森物語村」に移築保存されています。

神社の沿革

創建から近代までの主な出来事

社殿と境内の様子

本殿・拝殿・稲荷社

河分神社の本殿は4殿で、いずれも間口4尺・奥行5尺の春日造となっており、おおよそ61年ごとに造替が行われます。現在の本殿は明治14年(1881年)9月に造営され、大正9年(1920年)に修繕されたものです。

拝殿は間口4間、奥行3間で、同じく明治14年10月に竣工されました。その後、本殿と拝殿の間には屋根付きの登廊が設置され、雨天時でも参拝がしやすくなっています。

境内右手には、朱塗りの流造の小さな稲荷社があり、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀っています。稲荷信仰も地域に根差したものであり、五穀豊穣や商売繁盛を願う人々の参拝が見られます。

まとめ

河分神社は、奈良県吉野郡黒滝村の歴史と信仰を象徴する由緒ある神社であり、地域の人々にとって重要な精神的拠り所となっています。春日大社から分かれた神霊を祀るこの地は、古代から現代に至るまで、多くの信仰者や修験者が訪れ、自然と人との調和が感じられる神聖な場所です。

Information

名称
河分神社(黒滝村)
(かわわけ じんじゃ)

吉野・天川村・十津川

奈良県