奈良県 > 吉野・天川村・十津川 > 龍泉寺(天川村)

龍泉寺(天川村)

(りゅうせんじ)

霊験あらたかな真言宗醍醐派の聖地

龍泉寺は、奈良県吉野郡天川村洞川(どろがわ)に位置する、真言宗醍醐派の大本山であり、深い信仰を集める古刹です。山号は「大峯山(おおみねさん)」と称し、本尊には弥勒菩薩を安置しています。また、標高1,719メートルの山上ヶ岳にある「大峯山寺」の護持院のひとつとして、修験道においても非常に重要な役割を担っています。

龍泉寺の起源と伝承

修験道の開祖・役小角との関わり

その創建は今から約1300年以上も前、文武天皇4年(700年)頃にまで遡るとされ、修験道の開祖として知られる役小角(えんのおづぬ、役行者)がこの地を訪れた際に発見した泉を「龍の口」と名付け、その側に小さなお堂を建てて八大龍王を祀ったことが寺の始まりと伝えられています。

寺名の由来と龍神信仰

湧き出る泉は龍神が宿る清らかな水と信じられ、寺名は「龍泉寺」と命名されました。以降、この寺は修験者の信仰を集める霊場として発展を遂げていきます。

歴史的変遷と寺の復興

衰退と再興

創建から約200年後、寺の上流にある「蟷螂の岩屋」に雌雄の大蛇が住み着き、人々を襲うという災いが起こり、修験者たちはこの地を避けるようになり、寺は次第に衰退しました。しかし、後に当山派修験道の祖である聖宝(しょうぼう、理源大師)真言密教の力で大蛇を退治し、龍泉寺は再び隆盛を取り戻すこととなりました。

護持院としての役割

明治時代には、吉野の竹林院や桜本坊、喜蔵院、東南院と並んで、山上ヶ岳の大峯山寺を支える護持院の一つに指定され、以後も修験道の拠点としての役割を担い続けています。

戦後の再建と女人解禁

1946年(昭和21年)には洞川大火により、本堂を含む多くの伽藍が焼失し、八大龍王堂のみが焼け残りました。しかしその後、地元の人々や信者の尽力により1960年(昭和35年)に本堂が再建され、同年、かつて堅く守られていた女人禁制が解かれるという大きな転機を迎えました。

修験道と水行の道場

「龍の口」と八大龍王堂

境内には、役行者が発見したとされる清水「龍の口」が今もこんこんと湧き出ており、そこから流れ出す水は修験者の水行の場として尊ばれています。その先は池となり、ここが大峯山第一の水行場とされています。

道中安全の祈願と龍王講社

洞川から山上ヶ岳へと向かう修験者たちは、宗派を問わず、まずこの龍泉寺にて身を清め、水行を行い、八大龍王尊に道中の安全を祈願するのが習わしです。さらに、洞川地区の中心的な寺院である龍泉寺は龍王講社を組織し、全国各地の参詣者による講をまとめ、大峯山への登拝の起点としての役割も果たしています。

年中行事

毎年10月の第2日曜日には、境内の八大龍王堂にて大祭が行われ、多くの参拝者で賑わいます。

境内の見どころ

伽藍と自然

山上参籠所

大峯山の山上には龍泉寺の参籠所も設けられており、修行者が泊まり込んで山岳修行に臨む場として使われています。

文化財と自然の宝庫

自然林と天然記念物

龍泉寺の裏山は、奈良県指定天然記念物に登録されている「龍泉寺の自然林」が広がり、原生林の豊かな生態系を今に伝えています。清らかな水と厳かな木々の中での参拝は、まさに心身の浄化そのものです。

信仰の広がりと札所

近畿三十六不動尊霊場・役行者霊蹟札所

龍泉寺は、近畿三十六不動尊霊場第31番、また役行者霊蹟札所としても登録されており、霊場巡礼の一環としても多くの信仰を集めています。

交通アクセス

所在地: 奈良県吉野郡天川村洞川494
アクセス: 近鉄吉野線「下市口駅」より奈良交通バス「洞川温泉行」に乗車し、終点で下車(約1時間30分)。バス停から徒歩5分で到着します。

まとめ

龍泉寺は、古より修験者たちの信仰の拠点として存在してきた、奈良県天川村の霊場です。湧き水「龍の口」や、八大龍王への信仰、水行の場としての意義、そして女性にも門戸を開いた現在の姿は、現代においても多くの参拝者を惹きつけてやみません。深い歴史と自然、精神的な清めの力に満ちたこの地は、訪れるすべての人々に静寂と敬虔な気持ちをもたらしてくれることでしょう。

Information

名称
龍泉寺(天川村)
(りゅうせんじ)

吉野・天川村・十津川

奈良県