吉水神社は、奈良県吉野郡吉野町吉野山に鎮座する由緒ある神社です。かつては金峯山寺の一院として存在し、「吉水院(きっすいいん)」という名で知られていました。現在では、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つとして、多くの参拝者や観光客が訪れる地となっています。
吉水神社の起源は古く、社伝によると白鳳年間(7世紀後半)に、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)によって創建されたと伝えられています。当初は僧坊「吉水院」として、金峯山寺の修行施設のひとつとして機能していました。
文治元年(1185年)、源義経が兄・源頼朝との対立から追われる身となった際、家臣の武蔵坊弁慶、恋人の静御前とともに、この吉水院に5日間潜伏したという逸話が残されています。現在もその歴史を偲ばせる間が書院内に現存しています。
吉水神社の歴史を語るうえで欠かせない人物が、後醍醐天皇です。南北朝時代、後醍醐天皇は建武の新政の失敗後、吉野に逃れて南朝を開きました。その際、吉水院は天皇の行宮(仮の御所)として使用され、一時の皇居となりました。天皇の崩御後は、皇子の後村上天皇が父帝の尊像を奉安し、現在も祭神として祀られています。
文禄3年(1594年)には、豊臣秀吉が吉野で大規模な花見を行った際、吉水院を本陣とし、ここに5日間滞在しました。その際に造られたとされる庭園が現在も残されており、国指定名勝として多くの来訪者を魅了しています。
明治時代に入り、神仏分離政策の影響を受け、仏式で天皇を供養していた吉水院はその在り方を問われることとなりました。1874年(明治7年)12月、政府により後醍醐天皇社としての神社化が認められ、翌年には吉水神社へと改称され、正式に神社としての道を歩み始めました。
吉水神社では、以下の三柱の神々を主祭神としてお祀りしています。
これらの祭神は、日本の歴史の転換点を象徴する人物として、いまも多くの人々の尊敬を集めています。
現在の本殿は、かつての吉水院の護摩堂を転用したものです。また、2001年に焼失した勝手神社の祭神が一時的にこの本殿に仮遷座されています。
吉水神社書院は、現存する中で日本最古の書院建築とされています。初期の書院造りの様式を色濃く残し、後醍醐天皇の玉座の間や、源義経が潜居した間など、歴史の舞台となった部屋が今も保存されています。
境内に広がる池泉鑑賞式の庭園は、豊臣秀吉によって作庭されたと伝えられています。春には桜が咲き誇り、吉野山を一望できるこの場所からは、「一目千本」と呼ばれる美しい眺望が楽しめます。
吉水神社は、桜の名所としても有名な吉野山の中腹に位置し、境内からは中千本、上千本の桜が一望できるスポットとして知られています。この眺めは「一目千本」と称され、春の訪れとともに山全体が桜に染まる様子は圧巻です。
吉水神社は、歴史と自然、そして信仰が調和した特別な場所です。源義経や後醍醐天皇、豊臣秀吉など、日本史を彩る重要人物たちと深い関わりを持つこの神社は、訪れる人々に数々の物語と感動を与えてくれます。奈良・吉野を訪れる際は、ぜひこの由緒ある神社に足を運び、その空気と歴史を肌で感じてみてください。