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大峯山寺

(おおみねさんじ)

修験道の聖地

大峯山寺は、奈良県吉野郡天川村に位置する、日本の修験道において極めて重要な寺院です。この寺は、大峯山系の主峰である山上ヶ岳(標高1,719.2メートル)の山頂付近に建てられ、厳しい自然と霊験あらたかな修行の場として長い歴史を刻んでいます。

また、この寺は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されており、古くからの修験道文化と信仰の継承地として、国内外の注目を集めています。

女人禁制の伝統と儀式

大峯山寺は平安時代初期からの伝統として、今なお女人禁制を貫いています。この習わしは、山岳修行の清浄性を保つためとされ、毎年5月3日には「戸開式」9月23日には「戸閉式」という儀式が行われ、山上の道が一般参拝者に開かれ、また閉じられます。

大峯山寺の歴史と修験道

役小角と大峯山寺の創建

大峯山寺は、7世紀の終わりに修験道の開祖とされる役小角(えんのおづぬ、通称:役行者)が開いたと伝えられています。彼は、山中で感得した蔵王権現を自ら彫り、その像を本尊として本堂を建立したとされます。

金峯山寺との関係

吉野山にある金峯山寺(きんぷせんじ)の本堂である「蔵王堂」は「山下の蔵王堂」と呼ばれ、一方、大峯山寺の本堂は「山上の蔵王堂」と呼ばれます。これらは元々一体で「金峯山寺」として修験道の中心的な寺院でしたが、近代に入って別々の寺院として独立するようになりました。

宗教的・歴史的発展

平安時代に一時衰退を見せましたが、真言宗の高僧・聖宝(理源大師)により9世紀末に再興。その後、皇族や貴族の信仰を集め、栄えることになります。戦国時代には一向宗との争いにより焼失しますが、江戸時代に再建され、現在に至ります。

登山と女人結界門

登山ルートと所要時間

大峯山寺へは、吉野山からの尾根道もありますが、一般の参拝者は、天川村洞川(どろがわ)からのルートを使います。洞川からの登山は徒歩約4時間、登山口である大峯大橋からは約3時間の道のりです。

女人結界門と現在も続く女人禁制

大峯大橋を過ぎた地点にある「女人結界門」から先は、女性の立ち入りが禁止されており、今日においてもその伝統が厳格に守られています。この女人禁制については、伝統として守るべきという意見と、差別であるという批判が交錯しています。

登山道と修行の行場

登山道には茶屋や休憩所が点在し、「役行者お助け水」「洞辻茶屋」「ダラニスケ茶屋」などが旅人を癒します。また、「油こぼし」「鐘掛岩」「西の覗き」など、修験者が行に用いる険しい場が続き、「西の覗き」は絶壁から命綱をつけて身を乗り出し、仏の世界を垣間見るという厳しい修行場です。

宿坊と護持院制度

護持院による管理体制

大峯山寺は「護持院」と呼ばれる5つの寺院によって交替で管理運営されています。以下がその構成です:

宿坊の利用と修行

これらの宿坊は、山頂近くに並び立ち、5月3日から9月21日まで営業されます。いずれも信者のみならず、一般の登山者も宿泊が可能で、精進潔斎を目的とした簡素な食事と風呂が提供されます。女人禁制の区域内にあるため、宿泊者は男性に限られます。

建造物と文化財

本堂(重要文化財)

大峯山寺の本堂は「山上蔵王堂」とも称され、元禄4年(1691年)に再建されました。建築様式は寄棟造で、銅瓦および銅板葺き。規模はおよそ23メートル×19メートル、棟高13メートルという堂々たる建造物です。

この本堂は度重なる火災を乗り越えて再建され、戦国期には焼失し、江戸初期に木食快元によって再建されたという記録も残されています。

城・御所最高所にある重要文化財建築物

一部で「日本最高所にある重要文化財建築物」とされることがありますが、実際には富山県の立山室堂にある建造物の方が標高は高く、正確な比較が必要です。

まとめ

大峯山寺は、単なる寺院ではなく、修験道という日本古来の山岳信仰の中核をなす霊地です。厳しい自然と共に生き、精神の浄化と覚醒を目指す修行者たちが今なお訪れるこの場所には、他に類を見ない厳粛な空気と歴史があります。

その一方で、女人禁制という伝統を守り続ける姿勢は、現代社会との摩擦を生みつつも、日本の宗教的多様性と深淵を感じさせてくれます。大峯山寺は、古来より続く信仰と文化を後世に伝える貴重な存在なのです。

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名称
大峯山寺
(おおみねさんじ)

吉野・天川村・十津川

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