奈良県五條市犬飼町に位置する転法輪寺は、高野山真言宗に属する由緒ある寺院です。弘法大師空海ゆかりの地として知られ、古代から続く霊場として、多くの信仰を集めてきました。
転法輪寺の創建は、平安時代初期の弘仁6年(815年)にさかのぼります。真言宗の開祖である弘法大師・空海が42歳の時、修行の道場を求めて平安京を離れ、旅に出ました。その道中、現在の奈良県五條市にあたる大和国宇智郡で道に迷ってしまいます。そこで「南山の犬飼」と名乗る狩人が現れ、白と黒の二匹の犬(あるいは黒犬二匹という伝えもあります)を空海に貸し与えました。この犬たちの導きにより、空海は無事に高野山へとたどり着いたと伝えられています。
さらに、高野山へ向かう途中、空海は天野の里(現在の和歌山県かつらぎ町上天野)で神秘的な女神と出会います。この女神は丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)であり、高野山を含む広大な神領を空海に譲り渡しました。この神話は、高野山が霊域として認められた由来とされています。
狩人「南山の犬飼」は、実は丹生都比売大神の息子とされており、「狩場明神(高野明神・高野御子大神)」と呼ばれる神格化された存在です。これらの神々は後に、転法輪寺に祀られることとなり、深い信仰の対象となりました。
弘仁7年(816年)、空海は五條市犬飼町にて、当地の地主・川崎甚左衛門(法名:道和法師)の協力を得て、犬飼山遍照庵を創建しました。これが後の転法輪寺の始まりです。
創建当初は「犬飼山遍照庵」と称していましたが、後に「転法輪寺」と改名されました。その後も幾度かの改名があり、仁寿3年(853年)には「犬飼山遍照院転法輪寺」となりました。長い歴史の中で、転法輪寺は幾度となく災難に遭遇しています。特に第30代住職・実常の時代には大火災に見舞われ、空海に関する多くの貴重な遺物が焼失してしまいました。
永正2年(1505年)には本堂と庫裡が再建され、その後も14代にわたり整備が続きました。万治2年(1659年)には大師堂および両明神の神殿が再建され、さらには昭和期に入り護摩堂、地蔵堂、大教堂などが建設され、現在に至っています。
現在の本堂は江戸時代に建立されたもので、宝形造・銅板葺の方三間の形式を持ちます。内部には折上小組天井に天女が描かれており、荘厳で静謐な雰囲気を醸し出しています。
境内には狩場明神社および丹生都比売明神社という二つの神社があり、いずれも室町時代に建立された春日造の建築です。平成6年(1994年)には補修工事が行われ、創建当初の華やかな彩色が復元されました。
本堂裏手の庫裡の奥にある「大師塚古墳」は、直径12メートルの方形古墳です。天文21年(1552年)の銘が刻まれた石標があり、「南無大師遍照金剛」との文字が読み取れます。この御宝号は、現存する中でも最古級のものであり、大変貴重な史料とされています。昭和16年(1941年)には、この塚から須恵器・土師器・馬具・直刀・鏡玉などが出土し、特に草袋形土器は稀少なものとして注目されました。
もうひとつの古墳「明神塚古墳」は、明神社の裏手にあります。こちらにも「南無丹生大明神 天文21年」と刻まれた石標が残されており、大師塚と同様、古くから信仰と結びついた墓域であることが伺えます。
転法輪寺の伝承に登場する丹生都比売大神を祀る丹生都比売神社(天野大社)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町に鎮座し、2004年にはユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録されました。高野山と深い関わりをもつ霊場のひとつであり、転法輪寺との精神的なつながりは今なお厚いものがあります。
転法輪寺は、弘法大師・空海の伝説とともに歩んできた、歴史と信仰の息づく霊場です。その境内には、多くの文化財や神話の名残が今も残されており、訪れる人々に静けさと深い感動を与えてくれます。高野山へ至る信仰の道の一端として、ぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。