穴師坐兵主神社は、奈良県桜井市に位置する歴史ある神社です。古代から続く式内社であり、その旧社格は県社に指定されています。もともとは「穴師坐兵主神社(名神大社)」「巻向坐若御魂神社(式内大社)」「穴師大兵主神社(式内小社)」の3つの神社から成り立ち、室町時代に合祀されて現在の形となっています。現在の社地は、かつての穴師大兵主神社があった場所に鎮座しています。
穴師坐兵主神社の創建については、複数の説が伝わっています。一説では、垂仁天皇2年に倭姫命が天皇の御膳を守護する神として祀ったことが起源とされ、また別の説では景行天皇が八千矛神(大国主)を兵主大神として祀ったとされています。旧鎮座地は「弓月岳」とされますが、その比定地については竜王山、穴師山、巻向山の3つの説があります。
祭神である兵主神は、現在では中殿に祀られ、神体として鏡が奉られています。神社側では兵主神を御食津神として崇敬していますが、他にも天鈿女命、素盞嗚尊、天富貴命、建御名方命、大己貴神の分身である伊豆戈命、大倭大国魂神とする説があります。その神格は多様であり、時代や地域によって異なる解釈がなされてきました。
かつて巻向山中に鎮座していた巻向坐若御魂神社は、現在の右社に祀られています。祭神の若御魂神は、稲田姫命のこととされ、神体として勾玉と鈴が奉納されています。また、一部の説では若御魂神は和久産巣日神であるとする見解も存在し、その起源に関しても古くから様々な議論が交わされています。
現社地である穴師大兵主神社の創建年代は不詳とされていますが、祭神の大兵主神は左社に祀られ、神体として剣が奉られています。その正体については、八千戈命(大国主)、素盞嗚命、天鈿女命、天日槍命などの説があり、古代より力強さと守護の象徴として崇拝されてきました。
中世になると、穴師坐兵主神社は穴師上社、穴師大兵主神社は穴師下社と呼ばれるようになりました。応仁の乱(1467-1477年)の戦火で若御魂神社と穴師上社の社殿が焼失したため、これら2社は穴師下社(大兵主神社)に合祀されました。明治6年(1873年)に郷社に列し、昭和3年(1928年)に県社に昇格するなど、その歴史は波乱に満ちたものです。
境内には摂社として相撲神社があり、野見宿禰を祭神としています。野見宿禰は古代の力士であり、相撲の祖神として広く信仰されています。毎年、力強さと技を競う相撲大会が行われ、多くの参拝者や相撲ファンが訪れます。
穴師坐兵主神社へは以下の交通手段が便利です。
静かな自然に囲まれたこの神社は、歴史を感じながら心静かに参拝するのに最適な場所です。古代から続く神々の息吹を感じながら、その深い歴史に触れることができるでしょう。