奈良県高市郡明日香村に所在する牽牛子塚古墳は、日本の古代史に深く関わる謎と魅力に満ちた古墳です。国の史跡に指定されており、その出土品は国の重要文化財に認定されています。
この古墳は八角墳という珍しい形状をしており、2009年から2010年にかけての発掘調査によって、かつては不明瞭であったその構造や築造意図が明らかになりました。かつて「あさがおつかこふん」とも呼ばれていたように、「牽牛子」はアサガオの別称です。また、「御前塚」とも称されており、第37代斉明天皇(第35代皇極天皇)の陵墓である可能性が指摘されています。
牽牛子塚古墳は、明日香村と橿原市の境界に近い丘陵の端、標高126.3メートルの安定した高所に築かれています。この場所は、国の史跡である岩屋山古墳から西に約500メートルの位置にあり、周囲の地形や眺望を生かした古墳築造の意図がうかがえます。
発掘調査の結果、牽牛子塚古墳は版築工法による三段築成の八角墳であることが判明しました。墳丘の高さは約4.5メートル、八角形の対辺の長さは約22メートルに達します。
また、墳丘の周囲には八角形にかこむ石敷遺構が設けられており、その一辺は約9メートル、幅1メートル、切り石が3列に敷き詰められた丁寧な施工が見られます。この石敷は135度の角度で折れ曲がっており、全体としては相似する三段の八角形が幾重にも重なる精緻な構造となっています。
石敷の外側には砂利が敷き詰められ、墳丘を含めた全体規模はおよそ32メートルと推定されています。
三角柱状に削られた白色凝灰岩の切り石が数百個以上出土し、それらはピラミッド状に積まれ、墳丘斜面を装飾していたと推測されています。推定される総数はなんと約7,200個にものぼり、飛鳥時代の土木技術の高さと美的感覚を物語ります。
墳丘の一段目は一辺12.2メートル、対角線約33メートル、二段目は一辺約7メートル、対角線約18.5メートル、全体の高さは約4メートルとなっています。
牽牛子塚古墳の内部施設は南側に開口する横口式石槨で、1個約80トンの巨大な凝灰角礫岩をくり抜いてつくられた埋葬施設です。この巨石は約15キロメートル離れた二上山から運ばれたとされています。
石槨の内寸は幅5メートル、奥行き3.5メートル、高さ2.5メートル。内部は仕切り壁により東西に区切られ、二人を合葬できる構造です。壁面には二重の漆喰が塗られ、内部には長さ約2メートルの墓室が左右対称に設けられています。
石槨には内扉と外扉があり、内扉は凝灰岩製、高さ約1.12メートル、外扉は安山岩製で高さ約2.4メートルと、その巨大さに驚かされます。内扉の四隅には装飾金具を取り付けるための孔が設けられており、葬送の厳粛さを演出していたことがうかがえます。
古墳全体に使用された石材の総重量は550トン以上とされ、建設に関わった人数は推定で数百人、地面を引きずって運ぶ場合は1,400人に達する可能性もあり、古代国家の力を象徴する建造物でもあります。
過去の調査では、夾紵棺の破片や金銅製の棺金具(七宝亀甲形座金具、八花文座金具、六花文環座金具、円形座金具など)、鉄製の釘、鎹(かすがい)、さらにはガラス玉、人骨(臼歯)などの貴重な遺物が発見されています。
夾紵棺とは麻布を漆で幾重にも重ねたもので、当時の最高級の棺とされており、身分の高い人物が埋葬されていたことが裏付けられています。
牽牛子塚古墳は2022年2月に整備が完了し、現在では見学ルートや説明パネルが設置され、誰でもその歴史の息吹を体感できるようになっています。内部構造の再現模型や出土品のレプリカなどが、明日香村埋蔵文化財展示室などで見学可能です。
奈良県明日香村は、飛鳥時代の遺跡が数多く点在する日本有数の歴史観光地です。近隣には石舞台古墳や高松塚古墳もあり、古代史を巡る散策ルートとしても人気です。奈良駅や橿原神宮前駅からバスでアクセス可能で、徒歩圏内にはカフェや史跡案内所も整備されています。
牽牛子塚古墳は、飛鳥時代の女帝・斉明天皇の陵である可能性が高い、非常に貴重な古墳です。その壮大な八角形の構造、美しく丁寧な石工技術、そして出土する高貴な副葬品は、現代においても私たちに古代の叡智と精神性を伝えてくれます。歴史を愛する方にとっては、一度は訪れたい場所のひとつです。