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戒長寺

(かいちょうじ)

宇陀市に佇む歴史ある真言宗の古刹

戒長寺は、奈良県宇陀市榛原戒場に所在する真言宗御室派の寺院であり、その山号を「戒場山(かいばさん)」と称します。この地は、標高737.6メートルの戒場山の中腹に位置し、豊かな自然に囲まれた静謐な環境が魅力です。

特に秋には、境内にある大イチョウが黄色く色づき、落葉によって一面が黄金色に染まる光景が多くの参拝者や観光客を魅了しています。見頃は毎年11月中旬から12月初旬にかけてで、この時期になると、訪れる人々の心を癒す絶景が広がります。

戒長寺の歴史と起源

文献に見られる初出と伝説

戒長寺の創建については、正確な年代は明らかになっていませんが、春日大社文書に残る仁治元年(1240年)の「関東下知状案」に「戒場寺」の名が記されているのが最も古い記録とされています。

寺の伝承によると、聖徳太子が用明天皇の勅願により建立し、その後に弘法大師・空海によって伽藍が整えられたといわれています。しかしながら、これを裏付ける史料は現存しておらず、その信憑性には疑問が残るところです。

平安時代後期の繁栄の痕跡

現在の本堂の規模に比して多くの仏像を所蔵している点や、それらの仏像の制作年代、また重要文化財である銅鐘の鋳造年代から推察すると、平安時代後期には寺院としての勢力がかなり盛んであったことがうかがえます。

戒場遺跡と旧境内の推定

1991年には、現在の戒長寺の眼下に広がる戒場集落内で遺跡が発見され、同年10月から12月にかけて発掘調査が行われました。この遺跡は「戒場遺跡」と名付けられ、12世紀頃の建物の遺構が確認されました。柱穴の大きさや建物規模の特徴から、これは当時の一般的な民家よりも大きく、寺院建築であった可能性が高いとされています。

また、周辺には「ダイモン(大門)」「カネノカイト(鐘の垣内)」「ゴマヤマ(護摩山)」など、寺院の痕跡を連想させる地名が残されており、これらはかつての戒長寺の旧境内に該当する可能性が非常に高いと考えられています。

戒長寺の文化財と見どころ

秋の風物詩「大イチョウ」

境内に立つ大イチョウは、幹の周囲が約4メートル、高さ約30メートルという堂々たる樹木であり、奈良県指定天然記念物にも登録されています。秋には黄金色の葉が境内を覆い尽くし、まさに幻想的な光景が広がります。このイチョウは「お葉つきイチョウ」としても知られ、葉の上に実をつける珍しい性質を持っています。

戒長寺の仏像群

戒長寺では以下の貴重な仏像を所蔵しています。中でも薬師三尊像は本尊であり、秘仏として通常は非公開です。

特に木造薬師如来坐像(御前立)は、高さ134.6cmの半丈六の坐像で、檜材を用いた寄木造。伏し目がちの穏やかな表情や、整った衣文に平安後期の定朝様の特徴が見られます。その他の像も、精緻な彫刻と歴史的価値に富み、仏教美術に興味のある方には見応えのある文化財です。

重要文化財「銅鐘」

本堂と同時期に建てられた鐘楼門には、1291年(正応4年)に鋳造された銅鐘が吊されています。鐘には「戒長寺之薬師仏鐘正応四年三月十三日」との銘が刻まれており、薬師如来の眷属である十二神将像が鋳出されている珍しい鐘で、1940年に国の重要文化財に指定されました。

戒長寺の伽藍と戒場神社

本堂と鐘楼門

現在の本堂は江戸時代末期の元治元年(1864年)に再建されたものであり、鐘楼門も同時期の建築とされています。これらの建物は、山中の静けさの中で歴史を感じさせる佇まいを見せています。

神仏習合の名残「戒場神社」

本堂の背後には、かつての鎮守社である戒場神社が存在します。祭神は「大山祇命(おおやまつみのみこと)」で、明治維新の神仏分離令までは薬師如来の眷属である十二神将を祀っていました。神仏習合の時代の名残として、寺と神社の参道や境内が一体となっており、独特の歴史的景観を形成しています。

おわりに

戒長寺は、深い歴史と自然美、そして文化財に恵まれた寺院です。静かな山間に佇むこの寺を訪れると、心が洗われるような安らぎを感じることができます。とりわけ秋の大イチョウの黄金色の風景は、まさに絵画のような美しさです。仏像や鐘楼、神社との共存関係など、見どころも多く、歴史と自然の両方を楽しみたい方には最適な観光地です。

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名称
戒長寺
(かいちょうじ)

明日香・橿原

奈良県