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高取町(奈良県)

(たかとりちょう)

奈良県の中部に位置する高取町(たかとりちょう)は、高市郡に属する歴史と自然豊かな町です。飛鳥時代からの深い歴史を持ち、古代から交通の要所として栄えたこの町は、豊かな自然と文化遺産が調和する魅力的な観光地です。ここでは、高取町の地理や歴史、名所・旧跡について詳しくご紹介します。

地理と自然

町並みと自然環境

高取町は、高取山を中心に広がる町で、高取川吉備川曽我川(大和川水系)といった清流が流れています。町内には歴史を感じさせる伝統的な街並みが広がり、土佐街道夢創舘(観光案内所)など、昔ながらの風情を残す場所が点在しています。特に土佐街道は古くから商人や旅人の往来が盛んで、今もその歴史を感じさせる佇まいが魅力です。

歴史

古代の高取町

高取町は古代より重要な地域で、飛鳥の南に位置し、古墳が多数存在する歴史の深い場所です。古代の渡来人である東漢氏(やまとのあやうじ)がこの地に定住し、文化や技術を伝えました。また、『日本書紀』には、676年に高取山周辺の森林伐採を禁止する記述があり、これは日本最古の保安林制度とされています。このことから、古くから人口が集中し、発展していたことが伺えます。

波多郷の歴史

高取町にはかつて波多郷と呼ばれる地域があり、波多氏一族が住んでいました。『日本書紀』には推古天皇20年(612年)の記録として、「薬猟(くすりがり)をして後、羽田に集う」という記述があり、これは波多郷がその舞台であったとされています。また、『和名類聚抄』には大和国高市郡波多郷と記されており、その後も『大同類聚方』に波多神社が新羅伝来の「志路木薬」を伝えていたことが記録されています。これらの記録から、波多郷が薬草文化や信仰の中心地であったことがわかります。

中世・近世の発展

中世には越智氏の勢力圏に属し、貝吹山城(橿原市との境)を本拠地としながら、その支城として高取山城が築かれました。越智氏は北部の筒井氏と度々対立しましたが、最終的には敗北し、その勢力は衰退していきました。戦国時代になると、豊臣秀吉の弟である秀長が大和の国主となり、高取山城は大規模に改修され高取城として姿を現しました。高取城はその堅固さから日本三大山城の一つに数えられています。

近代の動向

幕末には天誅組事件が起こり、五條代官所を襲撃した天誅組が高取城を目指しましたが、高取藩兵の反撃に遭い敗走。その後、明治時代には町村制の施行により、1889年に高取村が発足し、1891年には高取町となりました。

名所・旧跡

代表的な観光スポット

交通アクセス

鉄道

近畿日本鉄道(近鉄)吉野線には、壺阪山駅市尾駅があります。また、西南部には近鉄葛駅(御所市)が至近です。

道路

町内を走る主要な道路としては、国道169号奈良県道35号橿原高取線などがあり、アクセスも良好です。さらに、複数の県道が通じており、奈良県各地への移動が便利です。

高取町は、歴史と自然が調和する魅力的な観光地で、訪れる人々に多彩な見どころと豊かな歴史を伝えています。

Information

名称
高取町(奈良県)
(たかとりちょう)

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