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又兵衛桜

(またべえ ざくら)

戦国武将の伝説と共に咲く奈良の名桜

奈良県宇陀市大宇陀本郷の地にひっそりと立つ一本桜、「又兵衛桜」は、その見事な枝ぶりと歴史的背景から、毎年多くの観光客や写真家を魅了し続けています。樹齢約300年とされるこの桜は、品種としてはシダレザクラで、別名「瀧桜(たきざくら)」とも呼ばれています。その優雅で流れるような枝ぶりがまるで滝のようであることから、その名がつけられたといわれています。

又兵衛桜の魅力

一本桜としての風格

又兵衛桜は、一本桜としては非常に存在感があり、周囲の山々や田園風景と調和しながらも、その大きさと枝ぶりで圧倒的な存在感を放ちます。春には満開の花を咲かせ、その姿は絵画のような美しさを誇ります。奈良県の保護樹にも指定されており、地域の自然遺産として大切に守られています。

ライトアップと見頃の時期

桜の見頃は4月上旬から中旬にかけてで、この期間中には夜間のライトアップも行われ、昼間とはまた違った幻想的な景観が楽しめます。淡いピンク色に照らされたシダレザクラは、まるで夢の中の情景のようで、写真家や花見客たちの間でも評判です。

名前の由来 ― 後藤又兵衛との関係

後藤又兵衛とは誰か

この桜の名は、戦国時代から江戸初期にかけて活躍した武将後藤基次(またの名を後藤又兵衛)に由来しています。後藤又兵衛は、豊臣家の家臣として知られ、「黒田二十四騎」「黒田八虎」、そして大坂城の「五人衆」の一人として数えられるほどの名将でした。

屋敷跡に立つ桜

伝承によれば、豊臣家が滅亡した後、後藤又兵衛はこの宇陀の地に隠棲し、再起の機会をうかがっていたといわれています。そしてこの桜は、かつての後藤家の屋敷跡に立っているとされ、その歴史を今に伝えています。桜の存在そのものが、戦国の世を生き抜いた一人の武将の記憶を今に伝える、まさに「生きた歴史の証」といえるでしょう。

交通アクセスと周辺観光情報

公共交通機関を利用する場合

電車を利用される場合は、近鉄大阪線「榛原駅」で下車し、奈良交通バスの「大宇陀」行きに乗車、「大宇陀高校前」バス停で下車後、徒歩約20分で又兵衛桜に到着します。

自家用車でのアクセス

お車の場合は、名阪国道の針インターチェンジを降りて、国道369号を榛原方面へ、その後国道370号・166号を経由して、大宇陀地域事務所付近まで進んでください。付近には案内看板も整備されており、分かりやすくなっています。桜のシーズンには臨時駐車場が設けられる場合もありますので、早めの行動をおすすめします。

後藤又兵衛の生涯

若き日の後藤基次

後藤又兵衛(基次)は、永禄3年(1560年)に現在の兵庫県姫路市周辺で生まれました。若くして武士としての才覚を見せ、黒田家、豊臣家の家臣として名を挙げました。

黒田家での活躍

特に黒田孝高(如水)・黒田長政に仕えていた時代には、数多くの戦功を挙げています。朝鮮出兵や関ヶ原の戦いなどの大きな合戦でも前線に立ち、後に筑前益富城の城主として1万石以上の所領を得るに至りました。

出奔と大坂の陣

しかしながら、主君・長政との不仲や他大名との交流が原因とされ、黒田家を出奔。浪人生活を送った後、慶長19年(1614年)、大坂の陣に豊臣側として参戦します。天満の浦での閲兵では「摩利支天の再来」と称されるほどの采配を見せ、大坂五人衆の一人として名を轟かせました。

最期の戦い

翌年の大坂夏の陣では、道明寺の戦いにて徳川軍に対して果敢に戦いを挑み、壮絶な最期を遂げます。享年56。彼の最期は、忠義と武士の誇りを貫いた壮絶なもので、多くの軍記や講談で語り継がれています。

まとめ ― 桜と歴史が紡ぐ物語

又兵衛桜は、その美しさだけでなく、そこに込められた歴史と伝説によって、訪れる者に深い感動を与えてくれます。春の一瞬の華やぎと、戦国の世に生きた武将の物語。その二つが交差する場所として、奈良県宇陀市のこの地は今もなお多くの人々に愛され続けています。

歴史に思いを馳せながら、満開の桜の下で過ごすひとときは、きっと忘れられない旅の思い出となるでしょう。ぜひ一度、その目で又兵衛桜の美しさを確かめに訪れてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
又兵衛桜
(またべえ ざくら)

明日香・橿原

奈良県