石舞台古墳は、奈良県高市郡明日香村に位置する、古墳時代後期(7世紀初頭)に築造されたと考えられている古墳です。国営飛鳥歴史公園内「石舞台地区」の中心にあり、国の特別史跡に指定されています。日本最大級の方墳であり、何よりも巨大な花崗岩を組み上げた石室が地上に露出しているという、他に類を見ない独特の姿で知られています。
現在では、教科書や観光パンフレットにも必ず登場するほど有名な史跡であり、飛鳥時代の政治・文化・土木技術を体感できる貴重な遺構として、国内外から多くの人々が訪れています。
石舞台古墳という名称は、古墳の本来の名称ではなく、後世に付けられた呼び名です。巨大な石室の天井石が広く平坦で、まるで舞台のように見えることから、「石舞台」と呼ばれるようになったといわれています。
また、地元には「月の夜、狐が美女に化け、この石の上で舞を舞った」という幻想的な伝説も伝えられています。こうした民間伝承が、石舞台という名称をより印象深いものにし、古墳を単なる史跡ではなく、物語性をもつ存在へと高めています。
石舞台古墳は、飛鳥の里を見渡す緩やかな丘陵地に築かれています。周囲には水田や里山の風景が広がり、現代においても古代の景観を色濃く残す地域です。近隣には、岡寺、飛鳥坐神社、飛鳥寺といった飛鳥時代を代表する史跡が点在しており、石舞台古墳が政治的・宗教的中枢エリアに位置していたことがうかがえます。
現在、石舞台古墳では盛土(封土)はほとんど失われていますが、発掘調査によって、その下部構造が明らかになっています。基壇は方形(正方形)で、一辺約51メートルと推定されています。斜面には20〜50センチメートルほどの花崗岩を用いた貼石が、約30度の角度で整然と積まれていました。
ただし、封土が剥ぎ取られているため、元の墳形については諸説があります。二段築成の方墳、上円下方墳、あるいは下部が方形で上部が八角形の八角墳であった可能性も指摘されています。いずれにしても、当時の権力者の墓として極めて特異で、威厳ある設計がなされていたことは間違いありません。
墳丘の周囲には、幅約5.9〜8.4メートルの空堀が巡らされていました。さらにその外側には、幅約7メートル、高さ約1.2メートルの外堤が築かれていたことが確認されています。外堤を含めた全体規模は、南北約83メートル、東西約81メートルにも及び、飛鳥時代屈指の巨大墓域を形成していました。
石舞台古墳の最大の見どころは、なんといっても露出した横穴式石室です。石室は西南方向に開口する両袖式で、羨道と玄室が明確に分かれた構造となっています。
玄室は、長さ約7.7メートル、幅約3.5メートル、高さ約4.7メートルという、日本の古墳石室の中でも最大級の規模を誇ります。羨道は長さ約11メートル、幅約2.5メートルあり、内部には排水施設も設けられていました。これは、石室内部を乾燥した状態に保つための高度な工夫であり、当時の土木技術の高さを物語っています。
石室を構成する花崗岩は約30個以上使用され、1つあたり70トン級の石も含まれています。総重量は推定で約2,300トンにも達するとされます。これらの石は、古墳の近くを流れる冬野川の上流、約3キロメートル離れた多武峰(とうのみね)の麓から運ばれたと考えられています。
車両や重機のない時代に、これほどの巨石を運び、正確に組み上げた技術と動員力は、被葬者が飛鳥時代を代表する大権力者であったことを雄弁に物語っています。
石舞台古墳は、古い時代に盗掘を受けたとみられ、豪華な副葬品の多くは失われています。現在確認されているのは、石棺の破片などわずかな遺物のみです。
一方で、羨道部や外堤からは、土師器・須恵器・銅製金具などが出土しています。また、後世に持ち込まれた宋銭や寛永通宝も見つかっており、古墳が長い時代にわたって人々の関心を集め続けてきたことが分かります。
石舞台古墳の被葬者については、飛鳥時代の大臣である蘇我馬子(そがのうまこ)の墓であるとする説が最も有力です。『日本書紀』推古天皇34年(626年)5月条には、「大臣薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る」と記されており、この「桃原墓」が石舞台古墳に該当する可能性が高いと考えられています。
一方で、石の種類や築造年代の観点から、蘇我稲目の墓とする異説もあり、学術的な議論は現在も続いています。また、封土が意図的に剥ぎ取られた背景には、蘇我氏滅亡後の政治的な意味があったのではないかという見解もあります。
石舞台古墳が文献に初めて登場するのは江戸時代です。延宝9年(1681年)の『大和名所記』では「石太屋」と記され、大きな石で造られた屋のような陵として紹介されています。
昭和8年(1933年)および昭和10年(1935年)には、京都帝国大学の浜田耕作らによって本格的な発掘調査が行われ、空堀や外堤の存在、方形構造であることが明らかになりました。1954年から1959年にかけては復元整備事業が実施され、現在の姿へと整えられています。
石舞台古墳の大きな魅力の一つが、石室内部に実際に入ることができる点です。玄室に立つと、巨大な天井石が頭上に迫り、古代の権力と技術の重みを肌で感じることができます。
石舞台古墳は桜の名所としても知られています。春には古墳周辺の桜が一斉に咲き誇り、巨石との対比が美しい景観を生み出します。夜間にはライトアップが行われ、昼間とはまったく異なる幻想的な飛鳥の表情を楽しむことができます。
見学時間は午前8時から午後5時までで、年中無休です。入場料金は以下の通りです。
大人・大学生:300円
高校生:200円
中学生:150円
小学生:100円
石舞台古墳の周辺には、岡寺、飛鳥坐神社、飛鳥寺など、飛鳥時代を代表する史跡が集中しています。これらを巡ることで、石舞台古墳が築かれた時代背景や、当時の政治・信仰の姿をより立体的に理解することができます。
石舞台古墳は、単なる巨大古墳ではなく、飛鳥時代の権力構造、宗教観、そして卓越した技術力を今に伝える生きた歴史遺産です。石室に足を踏み入れた瞬間、1300年以上前の人々の息遣いが、静かに心に迫ってくることでしょう。
明日香を訪れる際には、ぜひ時間をかけて石舞台古墳と向き合い、古代日本の原点に思いを馳せてみてください。
9:00~17:00
年中無休
入場料
一般 300円
高校生~小学生 100円
有料
近鉄「桜井」駅よりバス「岡寺前」行きで23分「石舞台」停下車して徒歩3分
近鉄吉野線「飛鳥」駅より徒歩25分