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文殊院西古墳

(もんじゅいん にし こふん)

桜井市の古代遺跡

文殊院西古墳は、奈良県桜井市阿部に位置する古墳で、その形状は円墳と推定されています。国の特別史跡に指定されており、歴史的な価値が非常に高い遺跡です。築造は古墳時代終末期の7世紀後半と考えられ、日本の古代史を知る上で欠かせない貴重な遺跡とされています。

立地と背景

文殊院西古墳は奈良盆地南部の阿部丘陵の西端部に位置しており、丘陵地の自然地形を活かして築かれています。室町時代にはすでに開口していたことが記録されており、現在でもその壮大な石室が残されています。

墳形と規模

墳形は直径約25~30メートル、高さ約6メートルの円墳と推定されていますが、墳丘は大部分が削平されており、葺石や埴輪の痕跡は認められていません。発掘調査は行われておらず、その詳細は未解明の部分が多いものの、その規模と構造から当時の有力な首長の墓であることが示唆されています。

埋葬施設 - 切石式石室

構造と技術

埋葬施設は切石の両袖式横穴式石室で、南方向に開口しています。特に玄室は、磚状に研磨された花崗岩を5段に積み上げ、その上に巨大な一枚石を天井として架けた高度な石積み技術が特徴です。玄室の寸法は以下の通りです。

玄室の側壁には幅約70センチメートル、高さ60センチメートルの方形磚状石材が瓦目状に5段積まれ、大きな壁石には刻みが施されて2石に見せかける工夫がなされています。これにより、精緻で美しい石室構造が形成されており、日本列島における横穴式石室の中でも最も精巧なものと評価されています。

天井石と排水の工夫

天井石は1枚の巨大な石で、中央部がドーム状に浅く掘りくぼめられており、内部の水滴が棺の上に直接落ちないように工夫されています。これは当時の石工技術の高度さを物語る特徴の一つです。

被葬者と阿倍氏の関連

文殊院西古墳は、その規模や立地から古代氏族である阿倍氏との関係が強く示唆されており、特に大化の改新に関与したとされる阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が被葬者と考えられています。阿倍倉梯麻呂は大化元年(645年)の大化の改新で左大臣に任命された人物であり、その墓である可能性が指摘されています。

文化財指定と信仰の対象

文殊院西古墳は1923年(大正12年)に国の史跡に指定され、その後1952年(昭和27年)には国の特別史跡に指定されました。現在、石室内には願掛け不動が祀られており、地元の信仰対象としても親しまれています。

アクセス情報

所在地:奈良県桜井市阿部645(安倍文殊院境内)

交通アクセス:JR西日本および近畿日本鉄道の桜井駅から徒歩約15分。

周辺の関連遺跡

これらの古墳群も含めて、奈良の古代史に触れることができる貴重なエリアとなっています。

Information

名称
文殊院西古墳
(もんじゅいん にし こふん)

明日香・橿原

奈良県