御所市は、奈良県中部の西南部、奈良盆地の西南端に位置する市です。西には金剛山・大和葛城山が南北に連なり、東には盆地が広がるという、山と平野が出会う地形を有しています。古代には「葛城(かつらぎ)」と呼ばれた地域の中心であり、日本の成り立ちを語るうえで欠かすことのできない歴史と文化を今に伝えるまちです。
市域中央を葛城川が北へと流れ、曽我川と合流しながら奈良盆地へと注ぎます。この水系が古くから人々の暮らしと農業を支え、豊かな文化を育んできました。自然環境に恵まれながらも、大阪府との県境に位置する交通の要衝であることから、古代・中世・近世を通じて常に人と物が行き交う舞台となってきました。
御所市の西部には、標高1,125メートルの金剛山と、標高959メートルの大和葛城山が連なり、古来より信仰の対象として人々の崇敬を集めてきました。これらの山々の山麓には棚田や農村集落が広がり、日本の原風景ともいえる穏やかな景観が今も残されています。
一方、東南部から北部にかけては丘陵地と平野が広がり、市街地や住宅地、農地がバランスよく配置されています。市域の北側には大和高田市・橿原市、南には五條市、東には高取町・大淀町、西は大阪府河南町・千早赤阪村と接しており、奈良県と大阪府を結ぶ重要な結節点でもあります。
市内を流れる清らかな小川や、田園風景が広がる里山は、昔ながらの日本の原風景を今に伝えます。特に御所まちに残る背割り下水と呼ばれる水路は、江戸時代から続く潤いを町にもたらしています。
御所市域には、『古事記』『日本書紀』『万葉集』に登場する地名や伝承が数多く残されています。古代、この一帯は葛城国、あるいは葛城の地と呼ばれ、大和王権と並ぶほどの勢力を誇った豪族葛城氏の本拠地でした。
三輪山を中心とする王権と対をなす存在として、葛城は飛鳥以前の古代史を考える上で極めて重要な地域とされています。御所市は、まさに日本の国家形成の舞台となった土地なのです。
4~5世紀を中心に活躍した葛城氏は、天皇家の外戚として政治の中枢を担いました。なかでも葛城襲津彦(そつひこ)は、仁徳天皇の皇后・磐之媛の父にあたり、朝鮮半島への遠征などで武功をあげた人物として知られています。
室宮山古墳(国史跡)は、全長238メートルを誇る巨大な前方後円墳で、襲津彦の墓と考えられています。内部には「王の柩」と呼ばれる長持形石棺が竪穴式石室に安置され、原位置で見学できる全国でも類例のない貴重な遺構です。
6世紀初頭、皇位継承が危機に瀕した際、北陸にいた継体天皇を擁立した中心人物のひとりが巨勢男人(こせのおひと)でした。この功績により、巨勢氏は大きな権勢を誇るようになります。
御所市古瀬地区を中心に、樋野権現堂古墳、新宮山古墳、水泥北古墳、水泥南古墳など、系譜を追える古墳群が残されています。特に水泥南古墳の蓮華文石棺は、仏教文化と古墳文化の融合を示す最古級の事例として知られています。
金剛山麓に広がる高天(たかま)の地は、『古事記』に記される高天原伝承地の一つとされています。ここには高天彦神社が鎮座し、参道には樹齢数百年の杉の巨樹が立ち並び、神話の世界を今に伝えています。
日本独自の山岳信仰である修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)は、7世紀に現在の御所市茅原で誕生したと伝えられています。金剛山・葛城山で修行を積み、吉野・大峰へと修験の道を広げました。
御所市は葛城修験発祥の地であり、市内には役行者ゆかりの寺社や経塚が点在しています。
御所市には、全国に400社以上ある鴨社の総本社高鴨神社をはじめ、葛木御歳神社、鴨都波神社という「鴨三社」が鎮座しています。これらは古代豪族・鴨氏によって祀られ、日本の農耕文化と深く結びついてきました。
16世紀になると「御所」の地名が文献に現れ、葛城川を挟んで西御所と東御所という二つの環濠集落が形成されました。江戸時代初期には桑山元晴が陣屋を構え、商業と寺内町が融合した陣屋町・御所まちが誕生します。
現在も町割りや水路、町家が良好に残り、1742年の検地絵図が今なお通用するほど、歴史的景観が保たれています。
御所市は、1922年に全国水平社が結成された水平社運動発祥の地です。西光万吉らによる水平社宣言は、世界初の被差別当事者による人権宣言として高く評価されています。
葛城古道は、金剛山と葛城山の山裾を南北に走る歴史道で、神社仏閣や古墳、田園風景が連なります。春のツツジ、秋のススキは特に有名です。
御所まちでは江戸時代の町家が軒を連ね、散策に最適です。山麓にはかもきみの湯が湧き、旅の疲れを癒やしてくれます。
御所市では、古くから薬草が豊富に採れたことから製薬業が発展しました。また、御所柿、大和いも、吉野本葛、日本酒など、自然と歴史が生み出した産業が今も息づいています。
古代、大和国葛上郡の一部であった御所市域は、豪族・葛城氏の本拠地でした。古瀬付近は高市郡巨瀬郷に属し、当地には多くの古墳や遺跡が残ります。2004年には極楽寺ヒビキ遺跡、2009年には秋津遺跡が発掘され、古代の営みを今に伝えています。
江戸時代後期、永井家が櫛羅(くしら)地域に櫛羅藩陣屋を設けました。これが現在の「御所まち」形成の起点となり、商業都市の西御所と寺内町の東御所という二つの顔を持つ町並みが生まれました。当時の検地絵図が現代においても有効に使えるほど、町割りが良好に保存されています。
葛城古道・大和葛城山・金剛山など、自然と歴史が交錯するスポットが点在。中でも葛城古道は古代からの街道で、四季折々の風景が楽しめます。
巨勢山古墳群:古墳時代の代表的な前方後円墳が複数残る
櫛羅陣屋南門:かつての陣屋門が民家に移築保存
鴨都波神社、一言主神社、名柄神社、高鴨神社、葛木御歳神社、
九品寺(櫛羅陣屋玄関の移築遺構)など、延喜式内社をはじめ古社が数多く点在します。
かもきみの湯:天然温泉を楽しめる公共浴場で、登山や散策の疲れを癒します。
御所まちは江戸時代初期に形成された陣屋町で、西岸の西御所は商業の中心、東岸の東御所は寺内町として発展しました。現在も家々の間を縫う水路(背割り下水)や当時の町割りがほぼ原形をとどめ、散策するだけで往時の賑わいを偲べます。
御所まちでは四季折々の伝統行事が今も受け継がれています。春の桜祭り、夏の祇園祭、秋の収穫祭、冬の年越し行事など、地元の人々が一体となって祝う祭りは訪れる人々にも温かく迎えられます。
奈良市や大阪市からは近鉄電車とバスを乗り継いで約1時間。車では阪和自動車道・美原北ICから約50分と、都市圏からのアクセスが良好です。登山口や史跡巡りの拠点としても便利なロケーションです。
神話、古代国家形成、修験道、町人文化、人権運動まで、御所市は日本史の縮図ともいえる重層的な歴史を持つまちです。奈良盆地を見下ろす山麓の自然、古代から近世にわたる歴史遺産、江戸時代の面影を残す町並み、そして温泉や祭りといった地域文化が一体となった魅力があり、歴史散策、自然体験、温泉リラックスなど、訪れる人は、山と川、祈りと暮らしが織りなす葛城の時間を、五感で感じることができるでしょう。