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鏡作坐天照御魂神社

(かがみつくりにます あまてるみたま じんじゃ)

鏡作坐天照御魂神社は、奈良県磯城郡田原本町に位置する古社です。『延喜式神名帳』に記載された式内社であり、かつては県社に列せられていた格式高い神社です。4世紀から5世紀にかけて、この地域には鏡を製作・鋳造していた鏡作部(かがみつくりべ)が居住しており、彼らが祖神を祀るために創建したと伝えられています。

御祭神について

主祭神とその神格

当社に祀られている神々は、以下の三柱です。

「鏡作に坐す天照御魂神」という社名から、本来は太陽神「天照御魂神」を祀る太陽信仰の神社と考えられています。これは皇祖神である天照大神とは異なる神格とされ、日本各地に存在する「天照御魂神社」の一つでもあります。

神社の由緒と歴史

創建の起源

『古事記』や『日本書紀』によると、崇神天皇6年、宮中で祀られていた天照大神を畏れ多いとして、神体を笠縫邑に遷座させたと記録されています。社伝によれば、その際に日御像の鏡(神鏡)がこの地で鋳造され、これを天照大神の御魂として宮中で祀るようになったとされます。

この試作神鏡を御神体として祀ったことが当社の起源であり、その際に鏡製作の祖神である石凝姥命およびその父である天糠戸命も合わせて祀られるようになりました。これが当社の創建とされ、地域に居住していた鏡作部との深い関係がうかがえます。

古文書にみる記録

『和名抄』には「大和国城下郡 鏡作郷」と記載があり、当時から鏡作りが盛んであったことが示唆されています。また、『新抄格勅符抄』によると、大同元年(806年)には神封十八戸が寄進されており、国家的な保護を受けた神社であったことが分かります。

『延喜式』では大社に列し、月次祭や新嘗祭において奉幣を受ける重要な神社でした。さらに『日本三代実録』には、天安3年(859年)に神階が従五位下から従五位上へ昇進した記録があります。

中世から近世の変遷

中世には鏡作三所大明神と称されていましたが、江戸時代に田原本藩が設けられるまでの間は一時期荒廃していたと伝えられています。その後、鏡業に関わる人々から厚い信仰を集め、再興されました。

明治時代に神仏分離令が発布されると、当社の神宮寺であった真言宗の飯趣山神宮寺聞楽院は廃寺となりましたが、その鐘楼だけは今日まで残されています。なお、1873年(明治6年)には郷社に、1936年(昭和11年)には県社に列格されました。

社宝・神鏡と鏡石

三神二獣鏡と鏡石

当社には、貴重な神宝である三神二獣鏡が伝わっており、鏡作の歴史を象徴する品とされています。また、境内にある鏡石は、鏡面を研磨する際に用いられたとされ、鏡作りの技術と信仰が結びついていたことを物語っています。

境内の構成と社殿

主な社殿と摂末社

境内には本殿をはじめとする多くの社殿や摂末社が整然と配置されています。

本殿(三棟)

拝殿とその他の社殿

合祀社

粟嶋神社、八意重金神社、保食神社、厳嶋神社、事代主神社、猿田彦神社、大国主神社などが合祀されています。

その他の社と施設

年中行事

御田植祭

境内では毎年、五穀豊穣を祈願する伝統的な行事である御田植祭が執り行われ、多くの参拝者で賑わいます。この祭礼では古来の農耕文化と神への感謝の気持ちが表現され、地域の大切な文化財産の一つとなっています。

アクセス情報

最寄り駅からの道順

鏡作坐天照御魂神社へは、近鉄橿原線田原本駅から北東方向へ徒歩約15分の距離にあります。比較的アクセスしやすく、周辺には歴史ある町並みも残されています。

おわりに

鏡作坐天照御魂神社は、古代の鏡作りの伝統と太陽信仰が息づく歴史深い神社です。その長い歴史と貴重な文化財は、訪れる人々に深い感動を与えてくれます。奈良を訪れる際は、ぜひこの神秘的な神社にも足を運び、その由緒ある空気を感じてみてください。

Information

名称
鏡作坐天照御魂神社
(かがみつくりにます あまてるみたま じんじゃ)

明日香・橿原

奈良県