吉祥草寺は、奈良県御所市茅原にある本山修験宗の寺院で、山号を茅原山、院号を金剛寿院と称します。修験道の開祖として知られる役行者(えんのぎょうじゃ/役小角)の生誕地と伝えられ、「役行者御誕生所」という別称でも親しまれてきました。大和盆地南部、金剛・葛城山系を間近に望む自然豊かな地に伽藍を構え、古代から現代に至るまで、山岳信仰と民衆信仰が交差する特別な場所として多くの参拝者を迎えています。
この茅原の地は、修験道の祖・役行者神変大菩薩が634年に生まれた場所とされ、吉祥草寺は役行者自らが開基し、のちに舒明天皇の勅願によって創建されたと伝わる古刹です。寺名の由来は、役行者がこの地に生い茂る吉祥草を用いて庵を結んだことにちなむとされています。
境内には「役行者産湯の井戸」や「役行者腰掛石」が今も残り、幼少期から修行に身を投じた役行者の足跡を身近に感じることができます。西にそびえる葛城山系は、若き日の役行者が厳しい修行を積んだ霊山であり、後に葛城修験の舞台として知られるようになりました。
平安時代には、理源大師聖宝によって再興され、最盛期には東西約4キロ、南北約5キロにも及ぶ境内に49の寺院が立ち並ぶ一大修験道拠点として栄えたと伝えられています。しかし、南北朝時代の貞和5年(1349年)、兵火によって伽藍の多くが焼失し、寺勢は大きく衰退しました。
現在の本堂は、その後の応永年間(1394~1428年)に再建されたもので、外陣の護摩札には寛文5年(1665年)の墨書が残り、江戸時代初期に改築されたことがうかがえます。幾度もの困難を乗り越えながらも、信仰の灯は途絶えることなく今日まで受け継がれてきました。
本堂には、不動明王を中心とする五大尊(五大明王)が本尊として祀られています。五大明王は、安堵・希望・勇気・活力・開拓心といった人々の生きる力を授ける存在とされ、修験道の厳しい修行と深く結びついています。
また、薬師如来立像、地蔵菩薩立像、愛染明王坐像など、平安から鎌倉時代にかけての貴重な仏像が安置されています。隣接する開山堂には、若き日の役行者を写したとされる珍しい役行者倚像と、母である白専女(しらとうめ)像が祀られ、ここが生誕の地であることを強く印象づけています。
吉祥草寺を代表する行事が、毎年1月14日に行われる「茅原の大とんど(左義長)」です。高さ約5メートルにも及ぶ雌雄二本の大松明に、本堂の法灯から火を移し、五穀豊穣・厄除け・天下泰平を祈願します。夜空を焦がすように燃え上がる炎は壮観で、1200年以上の歴史を持つこの行事は、国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財にも選択されています。
毎年7月7日には、大和高田市奥田の捨篠池で「奥田の蓮取り行事」が行われます。役行者が産湯に使ったとされる池で採れた蓮は、吉野山金峯山寺へと運ばれ、「蓮華会」や「蛙飛び行事」に供えられます。この一連の行事は、修験道の精神と地域の信仰が今も息づいていることを象徴しています。
境内近くには、役行者が農民を助けたという伝説に由来する地蔵堂(笠堂)があります。笠を立てたような独特の建築様式からその名が付けられ、今も人々の信仰を集めています。婚礼の花嫁がこの堂の前を通る際に目隠しをする風習など、地域に根付いた民俗文化も大切に守られています。
吉祥草寺は、伝統を守るだけでなく、現代文化との融合にも積極的です。2017年には、役小角奈(えんのおづな)と役追儺(ついなちゃん)という公認キャラクターが、正式な信仰対象として入魂されました。萌えキャラクターを本格的な信仰対象として祀る試みは世界的にも珍しく、国内外から注目を集めています。
これらのキャラクターは、不動明王のもとで修行する菩薩として扱われ、御朱印の授与や祭礼への参加などを通じて、若い世代や観光客に修験道の魅力を伝える架け橋となっています。
吉祥草寺は、役行者生誕の聖地としての重厚な歴史、火と祈りの壮大な祭礼、そして現代文化を柔軟に取り入れる姿勢を併せ持つ、全国的にも稀有な寺院です。修験道の精神に触れたい方はもちろん、奈良の奥深い文化や民俗行事を体感したい方にとっても、訪れる価値の高い場所といえるでしょう。