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多坐弥志理都比古神社(多神社)

(おおにいますみ しりつひこ じんじゃ)

多坐弥志理都比古神社は、奈良県磯城郡田原本町に鎮座する由緒正しい神社です。古くから「多神社(おおじんじゃ)」の名で親しまれ、「多社」「多坐神社」「太社」または「意富社」とも表記されることがあります。式内社(名神大社)に列せられ、旧社格は県社とされる格式高い神社です。社号標には「多㘴彌志理都比古神社」と記されており、その由緒の深さを感じさせます。

ご祭神とその由緒

主祭神の構成と意味

当社では、以下の四柱の神々をお祀りしています。

第一殿:神倭磐余彦尊(神武天皇)

初代天皇である神武天皇。神八井耳命の父とされています。

第二殿:神八井耳命

神武天皇の皇子であり、多氏の祖神と伝えられています。当社の主祭神とされ、社名にある「弥志理都比古」はこの神を指すとされています。

第三殿:神沼河耳命(綏靖天皇)

神八井耳命の弟であり、第二代天皇とされる神です。

第四殿:姫御神(玉依姫命)

神八井耳命の祖母と伝えられる女神で、神武天皇の母神でもあります。

この他、『古事記』の編者として名高い太安万侶も祀られており、神社の歴史的意義の深さを物語っています。

社名に込められた意味

「弥志理都比古(みしりつひこ)」とは、神八井耳命が弟に皇位を譲ったことに由来するとされています。「身を退く」という行為から名付けられたとも考えられ、皇位を辞退して神祇の祭祀に専念した姿勢が表れているとされています。

神社の歴史

創祀の由来と古代の祭祀

神話によれば、神八井耳命は皇位を弟に譲ったのち、自ら神祇を司ることを決意し、現在の田原本町に邸宅を構え、神籬磐境を設けて神々を祀ったことが当社の起源とされています。この祭祀は春日県(後の十市県)の地において始まり、遠祖である大日諸神を祭る春日県主の祖にも通じると伝えられています。

平安時代以降の記録と格式

『正倉院文書』には天平2年(730年)に当社の神戸が保有する稲束の記録があり、1万690束9把という膨大な量からも、当社の経済的基盤の強さがうかがえます。

『延喜式神名帳』では名神大社として名を連ね、月次・新嘗などの重要な祭祀に関わる格式ある神社とされてきました。

中世以降の動向

永治元年(1141年)には神階「正一位」とされ、「正一位勲一等多大明神」の扁額が一の鳥居・二の鳥居に掲げられました。近世には天文21年(1552年)に領主・十市遠勝から広大な社領が寄進され、かつては周囲6町四方に四方の鳥居が構えられていたとされます。

明治以降は多村の郷社から1923年(大正12年)には県社へ昇格するなど、地域の中心的な神社としての役割を担ってきました。

神武塚と多遺跡

本殿背後には「神武塚」と呼ばれる小丘があり、古代の祭祀場または古墳であった可能性があります。また、1972年の飛鳥川築堤工事中には、縄文時代から古墳時代にかけての遺跡である「多遺跡」が発見され、神社周辺の歴史的重要性がさらに浮き彫りとなりました。

境内の構成と建築物

本殿とその文化的価値

本殿は東西に4棟並ぶ四殿配祀形式をとっており、奈良県指定有形文化財に指定されています。各殿は以下のように再建・整備されています。

1977年には、本殿の屋根が檜皮葺から銅板葺へと改められました。

その他の建物と施設

中門、拝殿、社務所、多神社資料館などが整備されており、参拝者に対して十分な施設が用意されています。

摂社・末社・境外社

境内社

境外社(意富六所神社)

以下の4社は境外摂社であり、『五郡神社記』ではこれらと本社2座を併せて「意富六所神社」と称しています。

祭礼と年中行事

大祭礼「大連座」

毎年4月第3日曜日に行われる大祭「大連座(おおれんぞ)」は、地元で親しまれている祭礼です。「レンゾ」とは大和言葉で祭りを意味し、古くは旧暦の春分の頃に執り行われていたといいます。

文化財の指定

奈良県指定有形文化財

田原本町指定有形文化財

交通アクセス

最寄駅からのアクセス

近鉄橿原線「笠縫駅」より南西へ徒歩約10分で到着します。参拝の際には、ゆったりと歩きながら田原本町の風景をお楽しみいただけます。

Information

名称
多坐弥志理都比古神社(多神社)
(おおにいますみ しりつひこ じんじゃ)

明日香・橿原

奈良県