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三光丸クスリ資料館

(さんこうがん しりょうかん)

大和の薬文化を五感で学ぶミュージアム

三光丸クスリ資料館は、奈良県御所市にある、配置薬(大和の置き薬)と漢方薬の歴史・文化を総合的に紹介する資料館です。日本の医薬文化の礎を築いてきた「大和の薬」に焦点を当て、豊富な史料展示だけでなく、体験や映像を通じて、誰もが楽しみながら学べる施設として親しまれています。

五感で体験する「大和の置き薬」の世界

館内では、奈良県に根付いてきた配置薬の歴史に関する資料をはじめ、漢方薬の原料となる生薬(しょうやく)の見本や、昔の薬づくりに使われていた道具が数多く展示されています。映像コーナーでは、薬づくりや配置薬販売の様子を分かりやすく紹介しており、知識としてだけでなく、当時の人々の暮らしを実感として感じ取ることができます。

特に人気なのが薬づくり体験コーナーです。ここでは、実際に古い製薬道具を手に取り、かつて行われていた薬づくりの工程を体験することができます。見て、触れて、学ぶことで、配置薬が人々の生活にどれほど身近な存在であったかを実感できるでしょう。

薬草の小径と和風庭園でくつろぎのひととき

資料館の周囲には、薬草の小径(こみち)や手入れの行き届いた和風庭園が整備されています。季節ごとに表情を変える草木に囲まれながら散策することで、薬草が自然の恵みから生まれてきたことをあらためて感じることができます。見学の合間に、静かな環境の中で心身を休めることができるのも、この資料館ならではの魅力です。

日本の医薬史における「大和」の役割

大和(現在の奈良県)は、日本の薬と医療の発展において極めて重要な役割を果たしてきました。『古事記』や『日本書紀』には、推古天皇の薬猟(くすりがり)の記録が残されており、古代から薬草採取が国家的に行われていたことがうかがえます。また、修験者・役小角による薬草利用、奈良の寺院で行われた薬づくりや薬草園の整備など、大和は常に医薬文化の中心地でした。

さらに江戸時代には、各地の家庭に薬を預け、使用した分だけ代金を受け取る配置薬販売が広まり、大和は富山に次ぐ一大拠点として全国に名を知られるようになりました。こうした歴史を背景に、三光丸クスリ資料館は、大和の医薬文化を総合的に伝える場として設立されています。

七百年の歴史を誇る「三光丸」と米田家

資料館の中心的存在が、和漢胃腸薬「三光丸(さんこうがん)」です。その起源は鎌倉時代末期にまでさかのぼり、元応年間にはすでに前身となる薬が作られていたと伝えられています。伝承によれば、後醍醐天皇から「三光丸」の名を賜ったとされ、以来七百年以上にわたり、人々の暮らしの中で愛され続けてきました。

三光丸を製造・販売してきた米田家は、南大和に勢力を持った豪族・越智氏の庶流にあたります。越智氏滅亡後もこの地にとどまり、農業と並行して家伝薬の製造を続けてきました。江戸時代後期には、南大和の売薬業者をまとめ、大和売薬発展の中心的役割を担う存在となりました。

配置薬業界を支えた先進的な取り組み

幕末には、富山売薬との競合が激化する中、慶応2年(1866年)、三光丸当主・米田丈助が主導し、富山・加賀・大和の売薬業者が集まって業務協定を締結しました。その内容を記した『仲間取締議定書連印帳』は、現在も三光丸クスリ資料館で公開されています。

また、明治時代には偽薬対策として「日・月・星」の商標を登録し、品質と信用を守る取り組みを進めました。さらに1899年には三光丸同盟会を結成し、販売組織の近代化を図るなど、配置薬業界全体の発展にも大きく寄与しています。

現代へと受け継がれる伝統と挑戦

三光丸は、時代の変化に合わせて製造工程の機械化や管理システムの導入を進めつつ、伝統の製法と理念を守り続けてきました。現在も奈良県を代表する地場産業のひとつとして、配置薬販売は全国各地で行われています。

見学案内とアクセス

三光丸クスリ資料館は入館無料・予約不要で、気軽に立ち寄ることができます。配置薬や漢方薬に関心のある方はもちろん、日本の歴史や暮らし文化を深く知りたい方にもおすすめのスポットです。

交通案内:
JR和歌山線「掖上」駅下車 徒歩約10分
近鉄吉野線「市尾」駅下車 徒歩約15分

三光丸クスリ資料館は、過去から現在、そして未来へと続く「大和の薬」の物語を、やさしく、そして奥深く伝えてくれる場所です。

Information

名称
三光丸クスリ資料館
(さんこうがん しりょうかん)

明日香・橿原

奈良県